川中島合戦(二)妻女山

こんにちは。左大臣光永です。立教大学の前の昭和の雰囲気ただよう喫茶店でハヤシライス食べてきました。壁一面にこの店を訪れた立教大学の学生さんたちの記念写真が掲げてあって、ほほえましかったです。若いっていいなァと思いました。

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本日は「川中島合戦」第二回「妻女山(さいじょさん)」です。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/Kawanakajima2.mp3

川中島合戦は、武田信玄と上杉謙信との間で12年間、5回にわたって戦われた戦いです。中にも永禄四年(1561)の第四次川中島合戦は、その規模の大きさと、信玄・謙信双方の用兵の見事であったことで、軍記物にも多く描かれ、後世の語り草となっています。

第一回「上杉謙信と武田信玄」はこちら
http://history.kaisetsuvoice.com/kawanakajima.html

上杉政虎 善光寺から川中島へ

8月15日。
上杉政虎率いる1万3千名が善光寺に着陣。

翌8月16日。

上杉軍がいっせいに犀川を渡ります。


「上杉軍が動いた。
すぐに御屋形さまにお知らせしろ!」

千曲川南の海津城を預かる高坂弾正は、狼煙を上げさせます。

海津城
海津城

高坂弾正は春日虎綱ともいい、農民の出身ですが
武田信玄に取り立てられました。そして名門高坂家の
養子となりました。

特に撤退戦の指揮においては並ぶ者がなく、
「逃げ弾正」の異名がありました。

その高坂弾正が狼煙を上げさせます!

「狼煙台」と呼ばれる設備で、籠の中で煙を焚き、
その籠をぐーーっとてこの原理で高く掲げます。

それを順繰りに上げていき、海津城から甲府まで直線距離約100キロを、
2時間半で危機をしらせることができました。

海津城~甲府
海津城~甲府

信玄 躑躅ケ崎館を出る

「上杉政虎、動く」

甲府 躑躅ヶ崎館
甲府 躑躅ヶ崎館跡の武田神社

その報を受けた信玄はすぐさま、弟の信繁、信廉(のぶかど)、嫡男の義信(よしのぶ)はじめ、
猛将・飯富虎昌、その弟源四郎、深志城城代・馬塲信春、
軍師の山本勘助、ならびに歴戦の武将たちを招集し、ぐるり彼らを見渡し、言います。

甲府 躑躅ヶ崎館
甲府 躑躅ヶ崎館

「こたびの戦は、これまでのようになあなあではすまされぬ。
武田が勝つか、上杉が勝つか。二つに一つ。
有無の一戦と心得よ」

武田信玄
武田信玄像 甲府駅前

「ははっ!!」

過去三回の川中島合戦は、いずれもにらみ合いと小競り合い程度にとどまりました。宿敵上杉政虎との間に、いまいち決着がつかなかったのです。しかし、政虎が関東管領の地位につき、北条氏康を押して小田原まで攻めてきた以上、放置しておくのは危険でした。

いずれは川中島だけでなく、碓氷峠を越えて東からも攻めてくるかもしれない。そうなれば、守り切れません。

今、ここで上杉政虎をつぶしておかなければ甲斐・信濃に将来は無い。その覚悟のもと、信玄は18000名を率いて躑躅ケ崎館を出発します。8月18日のことでした。

時に武田信玄41歳。
上杉政虎32歳。

「目指すは川中島」

信玄、川中島へ
信玄、川中島へ

バタバタバタバターー

武田の陣営には、風林火山の旗がなびいていました。

一方の上杉政虎も、年々信玄が力をつけている上、今回信濃守護に任じられ、いよいよ信濃一国を手にした信玄は、いよいよ越後まで侵略してくるだろう。その上、今回の小田原攻めで戦った武将たちへの恩賞も不足していました。

「機は熟した。武田信玄。今こそ雌雄を決せん!」

バタバタバタバタ…

上杉の陣営には、毘沙門天の「毘」の旗がなびいていました。

政虎 妻女山へ

千曲川南の海津城では、高坂弾正が2000名で
守りを固めていました。

海津城址碑
海津城址之碑

「ぐぬぬ上杉政虎…この海津城はただでは落ちぬ。
御屋形さまが到着なさるまで、なんとしても
持ちこたえてみせる」

しかし!

上杉軍1万3000名はその海津城を横目に見ながら、
西の方へ素通りしていきます。

「どういうつもりじゃ!!」

見る間に上杉軍は千曲川をも渡ります。

上杉政虎、妻女山へ
上杉政虎、妻女山へ

この時、上杉政虎のそばに仕えている
直江景綱が、上杉政虎に申上げました。

「今海津城を攻めるべきではないのですか」

すると政虎は、

「海津城の守りはわずかな数だ。問題にもならぬ。
寡兵を責めるは卑怯・臆病の戦よ」

このように、上杉謙信は、「卑怯」と「義」とか、
なにか戦に美学のようなものを求めていた感があります。

生涯戦った戦のほとんどは、人に乞われて、
人助けのために軍を起こしています。ある意味
ロマンチストだといえます。

それでいて戦の腕は神がかり的に強く、
生涯一度も負け戦がありません。

みずからを戦の神毘沙門天の化身と信じていました。

ちなみに海津城は、武田氏滅亡後、織田・上杉・豊臣・徳川の家臣が次々と入り、元和8年(1624)真田信之が入城。三代幸道の時、松代城と改名されました。

さて上杉軍13000は妻女山に布陣します。

妻女山
妻女山

妻女山は標高差100メートルほど。
海津城の西2キロに位置します。
海津城は妻女山の上杉軍から見下ろされる形となりました。

信玄 雨宮渡から茶臼山へ

一方、信玄率いる本隊18000名は、諏訪を経由して和田峠を越え、
8月24日、川中島に到着します。

武田信玄、川中島へ
武田信玄、川中島へ

「なんなのだ、この布陣は…」

出迎えの者から報告を受けた信玄は言葉を失います。

武田信玄、雨宮渡に到着
武田信玄、雨宮渡に到着

上杉政虎は海津城を無視して、武田の勢力圏奥深い妻女山に
布陣しているのでした。今回は千曲川をはさんだにらみ合いでは
終わらせない。上杉政虎の強い覚悟が見てとれるような布陣でした。

次回「啄木鳥戦法」に続きます。お楽しみに。

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本日も左大臣光永がお話ししました。ありがとうございます。ありがとうございました。

解説:左大臣光永