徳川慶喜(十六)芳醇なる趣味生活
マイクが壊れてしまいました。いつものように録音すると、「ビリビリ…」という微妙な電子音が乗っています。
今話題の太陽フレアが原因かな?とも思いましたが、ほかに壊れたものはないし…なぞです。
新しいマイクが到着するまで、とりあえずスマホで録音します。
本日は徳川慶喜の十六回目、「芳醇なる趣味生活」です。
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前回まで
・慶喜は江戸に帰府すると上野寛永寺大慈院に謹慎した。
・勝海舟・西郷隆盛の交渉により慶喜は水戸へ謹慎、江戸城は明け渡しと決まった。
・慶喜は水戸にうつり謹慎生活にはいった。
・徳川の家督は徳川家達が継ぎ、駿府70万石に減封となった。
水戸の状況
慶応四年(1868)4月15日
慶喜、水戸着。弘道館入り
その頃、水戸国内はもめていた
旧天狗党(攘夷派)がのさばる
武田金次郎(耕雲斎の孫)による反天狗党狩り
反天狗党を惨殺
山岡鉄舟・勝海舟「慶喜公をはやく水戸から退去させねば」
水戸から静岡へ
7月10日、慶喜の駿府移転の許可が新政府から下りる
7月19日、慶喜、水戸出発
21日、銚子の波崎(はさき)から蟠龍艦に乗る
23日、清水港着
同日夕、常盤町宝台院(徳川家菩提寺)に入る
8月、徳川家達(6歳)、静岡着
慶喜は家達の養父となる
戊辰戦争中
元開成所の絵師・中島仰山(鍬次郎)から油絵を学ぶ
戊辰戦争は東北から北海道へ
大久保「慶喜に榎本追討させましょう」
三条実美「異議あり」
謹慎解除
明治二年(1869)9月28日、謹慎解除
戊辰戦争終結による
旧幕臣を新政府に登用するため
10月5日、宝台院を出て紺屋町の元代官屋敷へ
小石川の水戸藩邸などにいた妻美賀子も同居
明治四年(1871)徳川家達、東京へ
慶喜は静岡にとどまる。勝海舟の進言による
勝海舟の尽力
慶喜の朝敵解除、謹慎解除
勝海舟・大久保一翁・山岡鉄舟、明治期に徳川のために尽力
「徳川柱石の臣」
個人的に慶喜は嫌いだった
慶喜にプレッシャ―を与え続けた
従四位に叙せられる
明治五年(1872)1月6日、従四位
明治期を通して皇室を敬い、静岡をお召し列車が通過するときは敬礼
趣味生活に没頭
写真
好奇心旺盛
人力車、自転車、電話、蓄音機、自動車等
まっさきに購入
狩猟・鷹狩・囲碁・鵜飼・謡・能・小鼓・洋画・刺繍・将棋…
現駿府公園内の濠で鰻釣り
清水港での投網
最大の趣味は…
二人の側室の間に十男十一女
明治十年代 至福の趣味生活
明治10年(1877)西南戦争。木戸孝允が病死、西郷隆盛が自刃
翌11年、大久保利通が紀尾井坂の変で殺害される
↓
慶喜へのしめつけはさらにゆるく
静寛院宮(家茂夫人)と天璋院(家定夫人)が没したことも大きい
明治十三年(1880)5月、正二位
慶喜、至福のくつろぎ
母登美宮への孝行
母登美宮はしばしば静岡を訪問
慶喜夫婦の接待
母・妻と川釣りに出かけ、神社に参り、講釈師を自宅に招いて母を摂待
弟昭武との交際
静岡で狩猟や写真をともに楽しむ
あちこち出かける
熱海・久能山東照宮・浅間神社・花見・花火見物・釣り・狩猟・散歩
狩猟・鷹狩はとくに好んだ
講釈師を自宅に招く
まとめ
慶喜は水戸から静岡に移り、戊辰戦争・西南戦争と時代が動く中、趣味生活に没頭した。
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・学生時代、歴史の授業はさっぱり面白くなかった
・しかし大人になってから歴史に興味がわいてきた
という方のための歴史解説音声です。
「仏教の伝来」「清少納言と紫式部」など、91の日本史の名場面を、一回10分程度でわかりやすく語っています