徳川慶喜(十)将軍就任

本日は徳川慶喜の十回目、「将軍就任」です。

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慶応の幕政改革

元治元年~
フランスの協力を得て製鉄所などを作っていた。
フランス公使ロッシュ

慶喜の徳川宗家相続(慶応二年(1866))後は慶喜主導
合理化・簡素化(人員削減など)
軍事改革。フランス式軍制・軍服
歩兵・砲兵・騎兵の三兵のフランス式訓練
第二次長州征伐に敗れたニガい経験

ロッシュの推薦でフランス人技士ヴェルニー来日
横須賀製鉄所の建設
異母弟の昭武を慶喜の名代としてパリ万国博覧会(1867)に派遣
榎本武揚をオランダに留学させ、幕府海軍を編成
イギリスほか諸外国との結びつきも考えていた

長州「慶喜は第三次長州征伐を考えてるッ!!」
薩摩「長州のつぎは薩摩がやられるッ!!」

長州・薩摩、幕府(慶喜)に対する危機感を共有

慶喜と小松帯刀の接近

薩摩藩家老、小松帯刀の慶喜への接近
慶喜は小松帯刀の人柄をとても信頼

慶喜--小松帯刀のつながりによって、
三条実美ら五卿の大宰府からの帰洛→(孝明天皇の喪明けに)実現
幽閉公卿の釈放(政治犯として幽閉されていた公卿)
解兵令…第三次長州征伐の危機が去る(慶応三年1月23日)

薩長の一部「慶喜も話のわからんヤツではないじゃん」

将軍就任

慶応二年(1866)12月5日、
正二位・権大納言・征夷大将軍・右近衛大将などに任じられる
30歳
孝明天皇の強い意思による

慶喜政権の特色

・慶喜は将軍職についた後、江戸にもどらなかった
・二条城にも入らず、二条城南の若狭屋敷にいた(酒井若狭守の屋敷)
【江戸幕府と距離を置いた】
・老中まかせでなく自ら采配をふるった
・ざっくばらんな性格
諸大名が若狭屋敷を訪れると茶をすすり煙草をふかしながら応対

◯慶喜はとにかく嫌われた
・幕閣からも大奥からも嫌われていた
・大衆からも嫌われていた(とくに江戸)「今度の将軍は夷人かぶれだ」
・やがて会津藩も慶喜に反感

孝明天皇崩御

慶応二年(1866)12月25日、孝明天皇、天然痘で崩御(慶喜の将軍就任の20日後)
討幕派による暗殺説
慶喜は庇護者を失う
反幕派の公卿、藩士ら活動さかんに

明治天皇践祚

慶応三年1月9日、明治天皇践祚
祐宮睦仁親王(16歳)が明治天皇となる
外祖父の中山忠能(ただやす)は攘夷主義者

朝廷内に攘夷派が復権

兵庫開港問題

慶喜、喪明けに兵庫開港問題に全力

2月6・7日、慶喜・ロッシュ会談
慶喜「兵庫開港します」

※兵庫は日米修好通商条約および諸外国との条約により1863年から開港が約束されていた(後、期限は1868年に延長)。しかし孝明天皇の反対と勅許を出さなかったことにより開港は棚上げとなっていた。

3月5日、兵庫開港の勅許を奏請
「兵庫開港します」

★★兵庫開港します!!★★

3月22日、大坂入り
大坂城で英蘭仏公司と会見
騎兵や馬車を引見、各国行使に洋食をふるまう

3月-4月 各国行使と会見。意見調整
「兵庫開港します!!」

薩摩、反発
「おのれ慶喜!久光公の上洛を待たずに幕府だけで決めおって」
小松帯刀によって融和していた幕府と薩摩の関係がふたたび悪化

※薩摩は兵庫開港じたいに反対していたわけではない
薩摩主導で話をすすめられないことが気にくわなかった

まとめ

◯慶喜主導で「慶応の幕政改革」が行われた
◯慶応二年(1866)12月、慶喜将軍就任
◯慶喜政権はこれまでの徳川政権にないさまざまな特徴があった
◯同月、孝明天皇崩御
◯慶喜は兵庫開港に全力でとりくむ
◯薩摩は慶喜への反発を強める

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解説:左大臣光永