源頼朝の挙兵

治承4年(1180年)8月17日夜。

伊豆国の流人源頼朝が平家の代官・山木兼隆の館を襲撃しました。

ずばぁ
ぎゃああああ

ずぶうう
ぎゃひいいいいい

(ううう…な、なぜこんなことに…)

山木兼隆は突如、館を襲撃され、まったくわけがわかりませんでした。留守を守る郎党たちが次々と謎の襲撃者に殺されていく中、山木兼隆は部屋でぶるぶるとふるえていました。

その時、頼朝の部下・加藤景廉(かとうかげかど)が廊下の陰から長刀の先にかぶとをさしてすーーと掲げました。それを見て山木兼隆は、

「あわわ…敵だ。やられてしまう。いやいやいや、わしとて桓武平氏の端くれ。むざむざとやられはせん。きえーーーっ」

山木兼隆、太刀をかまえて斬りかかる。しかし、斬りかかったその太刀が、

どすっ!

鴨井に突きささり、

「ぬっ、ぐぬっ、ぐぬぬ!」

ジタバタ、ジタバタしているところへ、

ドカーー

障子を蹴破って入ってきた加藤景廉が長刀で、

ズバーー

「ぐっは!!」

山木兼隆を討ち取りました。

「勝った…勝ったのか…」

山木の館から勝利のしるしである煙が立ち上るのを見て、頼朝はほっと安堵しました。しかし、すぐに平家方の追手が押し寄せてくることは目に見えていました。

源頼朝・北条時政一行は300騎あまりで蛭ケ小島を後にし、相模の三浦一族・伊豆の土肥実平との合流をはかり、湯河原方面を目指しますが、大雨のため酒匂川が氾濫し、三浦一族との合流はならず。

その間押し寄せてきた平家方の大庭景親3000騎、伊藤伊東祐親入道300騎に北と南から挟み撃ちにされ、治承4年(1180年)8月23日、小田原の少し西、海岸に近い石橋山で合戦となるも、頼朝の手勢はさんざんに打ち破られます。

「くっ…今は、退くのだ」

命からがら逃げ延びた頼朝はわずかな味方と共に伊豆の真鶴から舟に乗り、房総半島を目指しました。

次回「冨士川の合戦」に続きます。

解説:左大臣光永