武田信玄と上杉謙信(八) 啄木鳥戦法

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第四回川中島合戦 直前の状況

永禄4年(1561年)5月、信玄は同盟関係にあった北条氏康を支援するため、信濃に進撃し、越後との国境近い割ケ岳(わりがたけ)城を攻撃し、これを攻め落とします。

「ふふふ政虎よ。これでも
関東で遊んでいられるかな」

越後の国境が信玄によって脅かされたという知らせは、
すぐに関東にいる上杉謙信のもとに届きます。
このままでは信玄が越後まで侵攻してくる!

「おのれ信玄。そうはいくか!」

上杉謙信は関東を後にし、
春日山城へ帰還すると、再度軍勢を整え、
8月14日、16000名を率いて川中島へ向けて出撃します。

「今度こそは決着をつける!」

思えば天文22年(1553年)にはじめて信玄と遭遇してから8年。
その間、三度この川中島を隔てて向かい合うも、
両雄の間に直接対決はなく、にらみ合い程度に終わりました。
しかし、これ以上信玄を野放しにすると、
信濃ばかりか越後まで侵攻してくる。
ここで止めねば、後がありませんでした。

8月15日。上杉謙信は善光寺に着陣します。


信玄 躑躅ケ崎館を出る

「上杉政虎、動く」

甲府 躑躅ヶ崎館
甲府 躑躅ヶ崎館跡の武田神社

その報を受けた信玄はすぐさま、弟の信繁、信廉(のぶかど)、嫡男の義信(よしのぶ)はじめ、
猛将・飯富虎昌、その弟源四郎、深志城城代・馬塲信春、
軍師の山本勘助、ならびに歴戦の武将たちを招集し、ぐるり彼らを見渡し、言います。

「こたびの戦は、これまでのようになあなあではすまされぬ。
武田が勝つか、上杉が勝つか。二つに一つ。
有無の一戦と心得よ」

甲府 躑躅ヶ崎館
甲府 躑躅ヶ崎館

武田信玄
武田信玄像 甲府駅前

「ははっ!!」

過去三回の川中島合戦は、いずれもにらみ合いと小競り合い程度にとどまりました。宿敵上杉政虎との間に、いまいち決着がつかなかったのです。しかし、政虎が関東管領の地位につき、北条氏康を押して小田原まで攻めてきた以上、放置しておくのは危険でした。

いずれは川中島だけでなく、碓氷峠を越えて東からも攻めてくるかもしれない。そうなれば、守り切れません。

今、ここで上杉政虎をつぶしておかなければ甲斐・信濃に将来は無い。その覚悟のもと、信玄は18000名を率いて躑躅ケ崎館を出発します。8月18日のことでした。

時に武田信玄41歳。
上杉政虎32歳。

上杉謙信像
上杉謙信像

「目指すは川中島」

信玄、川中島へ
信玄、川中島へ

バタバタバタバターー

武田の陣営には、風林火山の旗がなびいていました。

一方、上杉の陣営には、毘沙門天の「毘」の旗がなびいていました。

武田・上杉の旗
武田・上杉の旗

「機は熟した。武田信玄。今こそ雌雄を決せん!」

謙信 妻女山へ

所かわって。

千曲川南の海津城では、高坂弾正が2000名で
守りを固めていました。

海津城
海津城

「ぐぬぬ上杉政虎…この海津城はただでは落ちぬ。
御屋形さまが到着なさるまで、なんとしても
持ちこたえてみせる」

しかし!

上杉軍1万3000名はその海津城を横目に見ながら、
西の方へ素通りしていきます。

「どういうつもりじゃ!!」

見る間に上杉軍は千曲川をも渡ります。

上杉政虎、妻女山へ
上杉政虎、妻女山へ

上杉軍13000は妻女山に布陣します。

妻女山
妻女山

妻女山は標高差100メートルほど。
海津城の西2キロに位置します。
海津城は妻女山の上杉軍から見下ろされる形となりました。

一方、信玄率いる本隊18000名は、諏訪を経由して和田峠を越え、
8月24日、川中島に到着。

武田信玄、川中島へ
武田信玄、川中島へ

武田信玄、雨宮渡に到着
武田信玄、雨宮渡に到着

はじめ妻女山北西の7キロの茶臼山(長野市篠ノ井)に陣取りますが、

武田方、茶臼山に布陣
武田方、茶臼山に布陣

8月29日、川中島を大きく迂回して海津城に入ります。

武田方、海津城へ移動
武田方、海津城へ移動

広瀬の渡
広瀬の渡

啄木鳥戦法

武田勢は海津城にたてこもり、
上杉勢は妻女山にたてこもり、
にらみ合いが11日間続きます。

武田信玄は軍師の山本勘助にたずねます。

「今度の戦、どうすれば犠牲を最小限に抑え、
勝利できようか。策があらば申せ」

「ならば申し上げます。啄木鳥という鳥は」

「話が長くなりそうじゃな。手短に申せ」

「手短に。啄木鳥という鳥は
虫を捕るのに正面の穴には目もくれず、
穴の反対側にまわって木をつつき、
虫が驚いて飛び出してきた所を捕まえて食べると申します。

今、御味方二万騎を二手に分け、一万二千を正の備え、
八千を危の備えとし、一万二千の正をもって夜、
妻女山裏手から攻め寄せます。

啄木鳥戦法 一
啄木鳥戦法 一

さらば勝っても負けても、政虎は妻女山を下り、
千曲川を越え、川中島に出てくるでしょう。

一方、八千の危はあらかじめ川中島に布陣し、
妻女山を追われて降りてきた上杉軍を迎え撃つのです。

啄木鳥戦法 二
啄木鳥戦法 二

正面の八千と、背後の一万二千で挟み撃ちにする…

名付けて、啄木鳥戦法」

「なるほど、我らが啄木鳥、
上杉が虫というわけか。これはよい。今度の戦い、
采配は山本勘助に任せる」

解説:左大臣光永