織田信長(三十) 安土城完成
安土城完成
天正7年(1579)安土城が完成します。
「おお…」
「なんという…」
そびえ立つ天主。
黄金に輝く瓦葺の屋根。金の鯱。
いずれも信長の権威を世に示すに十分でした。
ただただ、言葉を失う人々。
天主から琵琶湖を望みながら、
「ようやくここまで来た…」独りつぶやく信長。
「素晴らしいデース。まるで神の宮殿デース」
驚きを隠せないルイス・フロイス。
安土城は地上六階地下一階の七階層。
各階の襖や障子には狩野永徳により絵が描かれました。絵の内容は山水画や中国の儒者・皇帝・伝説上の人物などが多く、日本の神話・伝説を扱ったものは一つもありませんでした。
それは、信長は中国風を強く意識していたためです。自分は天皇にも、将軍にもこびへつらわない。中国皇帝にも匹敵するものだぞという、信長の意思のあらわれでした。
天主の東南には摠見寺(そうけんじ)が築かれました。摠見寺に本尊はなく、ルイス・フロイスの言葉によれば「信長は、自らを神体とし、生きた神仏とした」ということです。
摠見寺の「摠見」は、仏教・神道・儒教を越えた、絶対宗教という意味です。あらゆる宗教を越えて、その上に君臨する、造物主。それが私織田信長であるという、信長の意思のあらわれでした。
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解説:左大臣光永