織田信長(二十八) 石山合戦~天王寺の戦い

信長 対 本願寺 天王寺砦包囲される

そんな中にも、本願寺との戦いは続いていました。

天正4年(1576)5月、大坂にて信長軍と本願寺の戦いが行われます。信長と本願寺は過去二度の講和を結んだとはいっても、それは表面上のことで、本願寺顕如は「いつかは信長との全面対決は避けられない」という構えでした。

大坂の本願寺には雑賀衆が詰めて臨戦態勢を整えていました。

「生意気な本願寺め」

この年の4月 信長は塙直政(ばん なおまさ)・明智光秀・荒木村重・細川藤孝4将に命じて、大坂本願寺を包囲させます。

本願寺は大坂湾に沿った海岸線上にいくつもの砦を築いて守りとしていました。これを潰さなくては本願寺攻めはならない。 信長は先鋒として塙直政に三津寺砦(みつでらとりで)の攻撃を命じます

「塙直政、三津寺砦を落とせ」
「ははっ」

激しい銃撃を受けてバタバタと倒れて行き、三津寺砦攻めは完全な失敗に終わりました。

「おのれ生意気な雑賀衆め
塙直政これにあり」

ドカカ、ドカカ、ドカカ、ドカカ

突っ込んでいくも、

パパーン、パパパーーーン

大将の塙直政も打たれてしまい、三津寺砦攻めは完全な失敗に終わります 

「敵は怯んでいるぞ!一気に天王寺まで攻めろ!」

わあーーーーっ

勢いを得た本願寺軍は、織田方の拠点・天王寺砦にまで迫り、天王寺砦を包囲しました。

「なに!天王寺が包囲された!」

京都でこの知らせを受けた信長は、ありあわせの軍勢を集めて天王寺へ向かい、なんとか本願寺勢は撤退させたものの、味方にも大きな被害が出てしまいました。

「どこかに、たかが寺、という油断があった。
しかしそれは間違いであった。
本願寺は徹底して潰さねばならぬ」

信長は反省し、決意を固めました。

これが天正4年(1576)5月はじめのこと。

解説:左大臣光永