織田信長(十六) 本願寺顕如
摂津攻め
姉川の戦いに勝利した信長は、京都に帰還し、将軍義昭に事の次第を報告します。
「うむ。信長よくやった」
当面の敵は撃破しました。しかし、安心してはいられなかった。すぐに別方面から敵が起こります。三好三人衆が四国より摂津に上陸。野田(現大坂市福島区)・福島(同)の砦にこもり、足利義昭と織田信長にたてつく構えを見せていました。
「これは見逃せぬ!」
元亀元年(1570)8月、織田信長は大軍を率いて京都から摂津に向けて出陣し、野田・福島に近い天王寺に着陣。
今回は足利義昭みずから信長の軍勢に加わりました。
「信長にばかり手柄を立てさせるわけにはいかん!」
何しろ信長の軍勢の中には、本来は将軍義昭に従うべき諸国の守護たちがいました。これでは信長が天下に号令している形になる。将軍はワシなんだぞ。勘違いするな。そういう対抗意識が、義昭の中で働いていたようです。
わあーーーーっ
わあーーーーーーーっ
元亀元年(1570)9月、信長軍は三好三人衆の立てこもる野田・福島城の正面に位置する海老江(えびえ)城(現大坂市福島句)に陣取り、
パーーン、パーーン、パーーン
銃撃を開始します。次々と討たれていく三好三人衆の軍勢。
「もうダメだ。信長は本気を出している。
降伏しかない」
降伏を申し出ますが、信長は受け入れず、
パパーーン、パーーン、パーーン
さらに銃撃を加えます。
「この際三好三人衆を徹底して殲滅する」
それが信長の考えでしたが、ここに思わぬ番狂わせが生じます。
本願寺 参戦
タターーン、ターン、タターーン
背後から、大坂の本願寺が、突如、三好三人衆に味方し、信長軍を攻撃し始めたのでした。
「なぜだ!なぜ本願寺が!」
これまで本願寺と信長はゆるやかな友好関係を築いていました。少なくとも積極的に敵対するということではなく、今回の信長の摂津攻めにしても協力はしないが敵対もしないという立場を取っていました。
なのに、なぜ!
本願寺は反信長に回ったのか?
本願寺の顕如は、前々から本願寺に対してて偉そうに無理難題を押し付けてくる信長に対し、反感を抱いていました。それで本願寺の門徒たちに信長と対抗するよう呼びかける檄文を飛ばし、信長と敵対関係にある浅井氏とも通じていました。
「やった!本願寺が味方してくれるぞ!
これならば信長を倒せる!」
わあーーーーっ
俄然、勢いづく三好三人衆。
つい先日までは信長軍に押されていた三好三人衆が、今度は信長を押す立場となりました。
「これではかなわぬ。本願寺と三好三人衆を敵に回しては、
とても勝ち目は無い」
そう判断した信長は、本願寺と講和しようとしますが…
「ふふん。今までさんざん本願寺に無理難題押し付けてきおって。
困ったから講和してくれとは笑わせる」
本願寺顕如は頑として信長の申し出を拒否。
さらに!
信長にとって最悪の事態が起こります。
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