毛利元就(五) 大内義興 来襲
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大内義興の動き
「大内義興、義隆父子、来襲!!」
大内義興・義隆、安芸へ侵攻
その知らせはすぐに毛利元就のもとに届きます。
「なんと!大内がついに動いたか。ぐぬぬ…銀山・桜尾両城が落ちれば、次に大内が攻めてこの吉田郡山城。こうしてはおれぬ」
毛利元就はすぐに主筋にあたる出雲の尼子経久に書状を送り、援軍を要請しますが、尼子経久の答えは、
「銀山・桜尾城は簡単には落ちぬから、何とか持ちこたえよ」
というものでした。事実、大内軍の攻撃は激しいものではありましたが、銀山・桜尾両城はよく耐えて、時間を稼ぎます。
実はこの頃、尼子経久も伯耆で戦の最中であり、軍勢を割くことができなかったのでした。
7月になってようやく伯耆での戦が一段落すると、尼子経久は5000の兵を銀山城に差し向けます。
「尼子の援軍です!先遣隊は5000の兵で銀山城を目指しております!」
「うん。やっとか!」
毛利元就も大内軍討伐のために、吉川・沼田(ぬた)・竹原小早川・天野・三吉(みよし)といった安芸・備後の国人らとともに軍勢を率いて銀山城攻めに加わります。
7月。銀山城外で、大内義隆軍と尼子先遣隊はじめ毛利元就をふくむ安芸・備後の国人連合軍が対峙しました。
「かかれーっ」
「攻め滅ぼせ」
わーっわーーっ
緒戦は、大内義興の勝利に終わります。大内義興の嫡子・義隆はこの年わずか18歳の初陣でしたが、義隆を補佐する陶興房(すえ おきふさ)は歴戦の勇士でした。
毛利元就は尼子経久に提案します。
「敵は大勢力。とはいえ、地理に通じている我らにこそ勝機はございます。ここは夜討をしかけましょう」
「うむ。夜討とな」
毛利元就はわざと進軍のさとられにくい雨の日を待って、全軍を五手に分け、夜討を決行しました。
四方からいっせいに大内義隆の陣所を襲います。
「夜討だと!!こんな雨の中か」
しかし雨の中だからこそ、襲ってきたのでした。不意をつかれた大内軍は散々に切り崩されます。
「ここは退くしかありません」
陶興房は、若き大内義隆を守り、桜尾城を取り囲む大内義興の本陣に向けて退却しました。
「まずは勝利!」
ワァーーー
鬨の声を上げる毛利元就軍。
すぐに尼子経久のもとにも報告が行き、
「うむ毛利元就。なかなかやりおるわ」
尼子経久も満足げでした。
「では全軍をもって、桜尾城を救え!」
尼子の軍勢はじめ安芸・備後の国人衆が大挙して、桜尾城を取り囲む大内義興軍に襲い掛かります。
「これでは…持ちこたえられん」
8月25日。ついに義興軍は全軍撤退を決めます。
「ぐぬぬ…私がもう少ししっかりしていれば…」
ぎりりと歯ぎしりする陶興房。
「それにしても毛利元就。西国の王たる大内軍を、わずかな国人衆のみで撤退させるとは…。げに恐ろしき男よ」
陶興房は毛利元就の名をしっかりと心に刻み付けました。また、味方とした戦った尼子経久も、
「毛利元就…あやつを放置しておけば、将来脅威となるかもしれん」
と警戒心を強めることとなりました。
次回「毛利元就(六) 百万一心」に続きます。