徳川家康(三) 桶狭間の合戦

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桶狭間の合戦

永禄3年(1560)5月12日。かねてから織田と敵対していた今川義元は2万5千の大軍を率いて尾張に侵攻(数は史料によって諸説あり)。松平元康はその先鋒を務めました。

途中、松平元康は阿古屋にいる母・お大の方を訪ねます。

「母上」
「竹千代…ああ…よく生きて」

ひしと抱き合う母と子。

1歳の時別れて以来、18年ぶりの再会です。もっとも一歳の時の記憶がハッキリあろうはずもなく、松平元康にとってはこれが生まれて初めて母と会うようなものだったでしょう。ところでお大の方は織田方の武将と再婚しています。その織田領にまさにこれから攻め込まんという時に、織田方に嫁いでいる母のもとを訪ねたわけです。ある意味のんびりした話ではあります。

同18日、今川勢は尾張沓懸城に入ります。

18日夜。松平元康は今川方・大高(おおだか)城への兵糧補給をすませ、翌19日早朝、織田方・丸根砦を攻め落とします。また織田方・鷲津砦も今川勢によって攻め落とされました。

「ふおっふおっふおっ、楽勝楽勝」

余裕の今川義元は、大高砦へ向かう途中、桶狭間山(愛知県名古屋市緑区・豊明市)にて休息を取ります。そこへ、丸根砦・鷲津砦陥落の知らせが入ります。

「ほっほっほっ、これほど嬉しいことはない!」

今川義元は、北西に向かって謡を三番うたいました。

その間、織田信長は圧倒的不利な戦略差を覆すべく素早く動いていました。

19日早暁。丸根砦・鷲津砦陥落の知らせを受けると、本城の清洲城を出陣。熱田を経て、丹下砦・善照寺砦へ移動。軍勢を終結させます。

その後、わずか2000騎ばかり率いて黒末川をわたって中島砦に入り、一気に桶狭間山の今川本陣をまっ正面から強襲します。

山際まで軍勢を寄せた時、

どざあーーーーーー

石か氷を投げつけるような激しい雨が降り出しました。

北西を向いた今川勢の顔に雨が降りつけます。織田方には、背後を押される形となりました。

「進め、進めーーーっ」

どばしゃどばしゃどばしゃどばしゃ

雨の中、馬を走らせる織田信長以下の将兵たち。

やがて雨はやみます。

信長は槍を取り、大音声を上げて、

「かかれッ」

ワアーーーーッ

織田の大軍が今川義元の本陣に突進。槍、弓、刀、幟…算を乱しての大乱戦となりますが、今川の本陣は兵力を減らしており、しだいに追い詰められていきます。

「ひ、ひいいいーーっ」

ついに今川義元は朱塗りの輿を討ち捨てて、徒歩裸足にて逃げ出しまが…織田方に討ち取られてしまいます。享年42。

松平元康は大高城にありましたが、今川義元が討たれたときき、松平氏の本城である岡崎城に戻りました。弘治2年(1556)に墓参りに帰省して以来、三年ぶりの岡崎でした。なつかしいな…庭の松も変わっていない。そんなこともつぶやいたでしょうか。殿…よくご無事でよよよ…涙ながらに迎える松平の家臣たち。しかし元康は決断を迫られることとなります。これまでのように今川の庇護はもう受けられない。松平家臣団を率いて、これからどうやっていくのか?

解説:左大臣光永