豊臣秀吉(十八) 聚楽第

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天正16年(1588)4月、秀吉は京都北野に築いた聚楽第に、配下の大名を集め、後陽成天皇を招いて接待しました。秀吉の力を天下に示す、デモンストレーションでした。

8月、秀吉は聚楽第で観月の会を開き、毛利輝元・小早川隆景・吉川広家を招きます。三河の徳川家康、備前の宇喜多秀家、越後の上杉景勝らが歌を詠みます。その座には秀吉政権下の有力大名が顔をつらねていました。

「輝元殿、四国と九州での毛利の働き、まこと感謝しておる」
「ははっ…」

ふかぶかと頭を下げる毛利輝元。これにより、毛利が豊臣政権に下ったことが、天下に知らしめられました。

またこの時秀吉は朝廷に働きかけに毛利輝元は従四位下参議に序せられ、後には従三位権中納言となります。毛利氏の領土もあらためて豊臣政権から120万石が与えられる形となりました。

しかし、関東の北条氏政・氏直父子は上洛要請をするも、結局あらわれませんでした。奥州の伊達政宗も、あらわせませんでした。

解説:左大臣光永