紫式部5 土御門第の日々

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中宮彰子懐妊

この前年の寛弘4年(1007)から、中宮彰子は懐妊していました。年明けて寛弘5年(1008)4月13日、土御門邸に退出。5月、安産祈願の法華三十講が営まれました。法華三十講とは『法華経』28品に『開経(かいきょう)』『結経(けっきょう)』のニ経を加えて30日間にわたって講義するものです。

土御門邸跡(現 京都御苑内)
土御門邸跡(現 京都御苑内)

7月16日、中宮彰子は出産準備のため一乗院内裏を下り、土御門邸に入りました。翌日、式部の弟の惟規(のぶのり)が勅使として中宮のもとにお見舞いに赴きました。惟規は酔って醜態を演じたようで、式部ははらはらしたことでしょう。

この頃から紫式部は、中宮彰子に『白氏文集』「楽府」の講義をはじめました。胎内の皇子への帝王学も兼ねていたと思われます。

7月20日より安産祈願の法会が土御門邸で営まれます。『紫式部日記』はこのあたりから始まっています。深まりゆく秋の土御門邸のようすが、詩情ゆたかに描かれています。

秋のけはひ入り立つままに、土御門殿のありさま、いはむかたなくをかし。池のわたりの梢ども、遣水のほとりの草むら、おのがじし色づきわたりつつ、おほかたの空も艶なるにもてはやされて、不断の御読経の声々、あはれまさりけり。やうやう涼しき風のけはひに、例の絶えせぬ水のおとなひ、夜もすがら聞きまがはさる。

『紫式部日記』冒頭

秋の気配が深まってくるにつれて、土御門邸の様子は、言いようもなく風情がある。池のあたりのたくさんの梢、遣水の脇に草が生い茂っているの、それぞれ見渡す限り色づいて、この頃の空も風流な事物に引き立てられて、絶えることない御読経の声々に、風情は深まってくる。だんだん涼しくなってくる風の気配に、いつもの絶えない遣水の音が、一晩中混じり合って聞こえる。

■もてはやされて 自然の風物までもが中宮ご出産を応援しているようす。 ■聞きまがはさる 風の音と水の音が混じる。

出産を待つ日々、天皇の勅使がひっきりなしに土御門邸に訪れ、密教の修法(すほう)が行われ、読経の声が響き、今様歌が歌われ、皆一様に彰子の出産を祈願しました。

この間、道長は落ち着かない日々を過ごしました。

寛弘5年(1008)9月9日の夜からいよいよお産ということになり、11日の昼に生まれました。その間のようすを、式部は活き活きと描いています。

夜中ばかりよりさわぎたちてののしる。

十日のまだほのぼのとするに、御しつらひかはる。白き御帳(みちょう)にうつらせたまふ。殿よりはじめたてまつりて、公達・四位五位ども立ちさわぎて、御帳のかたびらかけ、御座(おまし)ども持てちがふほど、いとさわがし。日ひと日、いと心もとなげに、起きふし暮らさせたまひつ。

御物の怪どもかりうつし、かぎりなくさわぎののしる。月ごろ、そこらさぶらひつる殿のうちの僧をばさらにもいはず、山々寺々をたづねて、験者(げんざ)といふかぎりは、残るなく参りつどひ、三世の仏も、いかにかけりたまふらむと思ひやる。陰陽師(おんやうじ)とて世にあるかぎり召し集めて、やほよろづの神も、耳ふりたてぬはあらじと見え聞こゆ。

御誦経(みずきょう)の使たちさわぎ暮らし、その夜も明けぬ。

夜中ごろから、騒ぎはじめてわいわい言い始めた。

十日のまだほのぼのと夜が開ける頃、衣装・調度品がお産用の白いものに変わる。白い御帳に、(彰子中宮は)お移りになる。道長の殿をはじめ、公達・四位五位の者たちが騒いで、御帳の帷子をかけ、御座や畳をあわてて取り違えるほどに、たいそう騒がしい。一日中、(彰子中宮は)たいそう心もとない風で、起きたり伏したりなさっていた。

多くの物の怪を憑りましに移して、限りなく騒いでわあわあいう。ここ数ヶ月、間近に土御門邸でお使えしている僧はいまさら言うまでもなく、山々寺々をさがしもとめて、修験者という者は片っ端から、残りなく参上して集まって(加持祈祷をするので)、前世・現世・来世の仏も、どんなにか急ぎ飛んでいらっしゃるだろうと思わせられる。陰陽師も世にある者片っ端から召し集めて(加持祈祷をさせるので)八百万の神も、耳を振りたてないのはないと見え聞こえる。

安産祈願の読経を頼みに寺寺に走る使たちが一日中さわいで、その夜も暮れた。

■御帳 高貴な方の御寝所。浜床(方形の台)に畳2枚敷いて周囲に柱を立て、帷子を垂れる。 ■御座 夫人が座る茵(しとね)。畳を芯に、布を縁につける。座布団のようなもの。

御帳の東おもては、内裏(うち)の女房参りつどひてさぶらふ。西には、御物の怪うつりたる人々、御屏風ひとよろひを引きつぼね、局口には几帳を立てつつ、験者(げんざ)あづかりあづかりののしりゐたり。南には、やむごとなき僧正・僧都かさなりて、不動尊の生きたまへるかたちをも呼び出であらはしつべう、頼みみ、恨みみ、声みなかれわたりにたる、いといみじう聞こゆ。北の御障子(みそうじ)と御帳(みちょう)のはざま、いとせばきほどに、四十余人ぞのちにかぞふればゐたりける。いささかみじろきもせられず、気(け)あがりて、ものぞおぼえぬや。いま里より参る人々は、なかなかゐこめられず、裳の裾・衣(きぬ)の袖ゆくらむかたも知らず。さるべきおとななどは、しのびて泣きまどふ。

御帳の東側は、天皇の女房たちが参り集まってお仕えしている。西には、物の怪がのり移った人々が、屏風ひとよろい(二帖(ちょう)=一双(そう))を周囲に引いて局状にして、その局の入口のところには几帳を立てつつ、修験者がおのおの役割を分担して大声で祈っていた。南には身分の高い僧正・僧都らが幾列にも重なって座っていて、不動尊の生きていらっしゃる姿をも今にも呼んで出現させそうな勢いで、頼んだり、恨んだり、声は皆あちこちで枯れまくっているのが、たいそう尊く思われる。

北の御障子と御帳の間の、たいそう狭いあたりに、女房たちが四十人あまりも後で数えたらいた。少しも体を動かすこともできず、のぼせ上がって、何が何だかわからない様子である。新たに実家から宮仕えに参った(新参者の)女房たちは、せっかくだから中宮さまのおそば近く入れてもらいたいのだが、混み合っていて入れられない。裳の裾・衣の袖のゆく先もわからない。おもだった年配の女房たちなどは、(無事にお産がなるか心配して)しのび泣きしてわけがわからない。

■いみじ ここでは尊い。

9月11日昼頃、彰子は男子を出産しました。

午の時に、空晴れて朝日さし出でたるここちす。たひらかにおはしますうれしさのたぐひもなきに、男にさへおはしましけるよろこび、いかがはなのめならむ

『紫式部日記』

正午頃、空晴れて朝日が出たように思える。無事にお生まれになった嬉しさの類ない上に、まして男子でさえあられた喜び、どうして一通りであろうか。

紫式部の筆が興奮に躍っているのに対し、藤原道長のほうは淡白です。

午の時、平安に男子を産み給ふ。候する僧・陰陽師らに禄を給ふ、

『御堂関白記』

あまりに嬉しかったので言葉にまとまらなかったのでしょうか。外に向けた公的記録としての男性の「日記」と、主に個人的な心の動きをつづった、文学としての女性の「日記」の違いが出ているとも見れます。この皇子は敦成(あつひら)親王と名付けられます。後の、後一条天皇です。

『紫式部日記』より

『紫式部日記』には敦成親王の3日夜、5日夜、7日夜、9日夜すべての産養の様子が細かく詳しく描かれています。キリがないので省略しますが、こういう記事が今日、平安時代の風俗習慣をしるのに大いに役に立つわけです。

その間、道長は夜中にも暁にも孫(敦成親王)の顔を見に訪ねてきました。道長がいきなりやってきて乳母の懐をさぐって若宮を抱き取るので、乳母が寝ぼけまなこで目をさます。それが気の毒だと、紫式部は乳母に同情しています。

ある時、道長が若宮(敦成親王)を抱いていると、おしっこをかけられました。そこで、濡れた直衣を脱いで几帳の後ろで火にあぶって乾かしていました。通りかかった公卿に道長は、

「あはれ、この宮の御しとに濡るるは、うれしきわざかな。これ濡れたるあぶるこそ思ふやうなるここちすれ」と、よろこばせたまふ。

『紫式部日記』

ああ、この宮(敦成親王)のおしっこに濡れるのは、うれしいことだなあ。この濡れた衣を火であぶっているのこそ、思いがかなった心地がするよ」とお喜びになったと。

紫式部の藤原道長に対する観察は、微笑ましく温かいものがあります。

式部の憂鬱

無事にお産もすみ、一条天皇の土御門邸行幸の日が近づきました。女房たちはその準備に大わらわな中、式部はふと庭先の菊を見て、深い憂鬱にとらわれます。

行幸ちかくなりぬとて、殿のうちをいよいよつくろひみがかせたまふ。世におもしろき菊の根をたづねつつ掘りてまゐる。いろいろうつろひたるも、黄なるが見どころあるも、さまざまに植ゑたてたるも、朝露の絶え間に見わたしたるは、げに老いもしぞきぬべきここちするに、なぞや。まして、思ふことの少しもなのめなる身ならましかば、すきずきしくももてなし、若やぎて、つねなき世をも過ぐしてまし。めでたきこと、おもしろきことを見聞くにつけても、ただ思ひかけたりし心のひくかたのみ強くて、ものうく、思はずに、なげかしきことのみまさるぞ、いと苦しき。いかで、いまはなほもの忘れしなむ、思ふかひもなし、罪も深かりなど、明けたてばうちながめて、水鳥どもの思ふことなげに遊びあへるを見る。

水鳥を 水の上とや よそに見む
われも浮きたる 世を過ぐしつつ

かれも、さこそ心をやりて遊ぶと見ゆれど身はいと苦しかんなりと、思ひよそへらる。

一条天皇の土御門邸への行幸が近くなったということで、屋敷の中をいっそう手入れして美しくなさる。とても美しい菊の根を探しつつ掘って持ってきた。さまざまの色に色あせているのも、黄色であるのが特に見どころがあるのも、さまざまに植えたてたのも、朝霧の絶え間にあちこちに見えるのは、まったく、老いも退散してしまいそうな心地がするのに、どうして、そうはならないのかしら。まして、物思いが少しでも世間並みである身であったなら、もっと色目かしく振る舞い、若々しく、無常のこの世の中をもっと気楽に過ごすことができただろう。ところが、めでたきこと、面白いことを見聞くにつけても、ただ普段から思い抱いていた心に引っ張られる力ばかり強くて、物憂く、心にそぐわず、嘆かわしいことばかりがまさるのが、とても苦しい。どうかして、今は普段の憂鬱な気持ちは忘れたいのだが、そう思ってもやはり物思いは消えない。罪深いことだわと夜が明けるとぼんやり眺めて、水鳥たちが思うこともなさそうに遊びあっているのを見る。

水鳥を 水の上とや よそに見む
われも浮きたる 世を過ぐしつつ

水鳥は水の上で楽しく遊んでいるようによそ目には見える。
でも私だってよそ目には華やかな宮廷生活の中、浮ついてるように見えることでしょう。鳥たちのことをどうこう言えない。

■すきずきし 色めかしい ■もてなし 振る舞い

皇子が生まれて世はお祝ムードで一色なのに、式部はひたすら自分の内なる憂鬱を見つめています。これに続く一条天皇行幸の華やかな場面との対比で、描写に奥行きが出ています。

解説:左大臣光永

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