わかる鎌倉時代(二)源実朝・北条義時

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二代執権・北条義時の時代には、大きな三つの事件がありました。

●和田合戦
●源実朝の暗殺
●承久の乱

こうして見ると何ともドラマチックな時代です。年代としては1200年代の前半です。

1213年 和田合戦

和田義盛。この人は侍所別当をつとめ、鎌倉幕府の軍事部門の最高責任者でした。今でいう防衛大臣ですね。北条義時はこの和田義盛を、潜在的な北条氏の敵として危険視しました。そこでしきりに挑発し、謀反を起こすようにけしかけます。ついに屈辱に耐えかねた和田義盛は挙兵し、鎌倉で二日間にわたって市街戦が行われました。結果、和田一族は亡ぼされ、片瀬川の川原に一族の首が並べられました。

合戦のさなか、和田義盛の三男・朝比奈義秀の活躍はめざましいものがありました。朝比奈義秀は力持ちで知られる人物で、朝夷那切通を一晩で切通したとか、材木座の海でサメ三匹を素手で捕まえたとか派手な伝説が残る人物です。

江ノ電和田塚駅から歩いてすぐの和田塚は、和田一族の墓の跡といわれます。明治時代の発掘調査で、多くの人骨が見つかりました。1213年和田合戦の戦死者の骨とみられています。

江ノ電和田塚駅江ノ電和田塚駅

和田塚和田塚

1219年 実朝暗殺

二代執権北条義時の時代の二つ目の事件が、八幡宮の石段に立てる一木の大イチョウ…そうです。源実朝の暗殺です。

鶴岡八幡宮 大イチョウ
鶴岡八幡宮 大イチョウ

承久元年(1219)12月。右大臣拝賀式の夜、鶴岡八幡宮にて、実朝は式を終えた後、イチョウの木の陰に隠れていた…と言われる別当公暁に、「親のカタキはこう討つのだ!」ズバッと切られ、首を打ち落とされました。

鶴岡八幡宮 大イチョウ
鶴岡八幡宮

夜に入りて奉幣(ほうへい)終(おわり)て、宝前(ほうぜん)の石橋をくだりて、扈従(こしょう)の公卿 列立(れつりつ)したる前を揖(い)して、下襲(したがさね)の尻引(しりひき)て笏持ちて行きけるを、法師の行装(ぎょうそう)・兜巾(ときん)と伝物(いうもの)したる、馳(はせ)かかりて下襲(したがさね)の尻の上にのぼりて、かしらを一の刀(かたな)には切て、倒(たふ)れければ、頸(くび)を打ち落として取りてけり。

……

此法師(このほうし)は、頼家が子を其(その)八幡の別当になして置きたりけるが、日ごろ思ひ持ちて、今日かかる本意(ほい)を遂げてけり。一の刀(かたな)の時、「親の敵(かたき)はかく討つぞ」と伝(いい)ける、公卿ども あざやかに皆聞けり。

慈円『愚管抄』

公暁は実朝の首をもって逃げますが、すぐに追手が追いつき、乱闘の末に公暁を討ち取りました。公暁は前将軍頼家の息子であり、実朝を親の仇と思い込んで憎んでいたようです。しかし黒幕がいるという説もあり、さまざまな説があり、いまだ結論は出ていません。

頼朝・頼家・実朝と続いた源氏三代の血筋は完全に途絶えました。そこで、どうしたか。どこから新しい将軍を迎えたでしょう。藤原氏。藤原氏の九条家から、まだ幼い三寅丸を連れてきました。後の四代将軍九条頼経です。

1221年 承久の乱

そして北条義時の時代の三つ目の大事件が、あの有名な演説が行われた、1221年承久の乱です。

承久三年(1221)5月。前々から鎌倉幕府に敵意を燃やしていた後鳥羽上皇は、京都南方城南宮に諸国の武士を集め、北条義時追討の院宣を下します。執権北条義時を討ち、鎌倉幕府を倒せと命じたわけです。

鎌倉方はこれをいち早く察知。動揺する御家人たちを北条政子が鼓舞したのが有名な演説の場面です。

皆心を一にして奉(たてまつ)るべし。是(こ)れ最期の詞(ことば)なり。故右大将軍(こうだいしょうぐん)朝敵を征罰し、関東を草創してより以降、官位と云ひ俸禄と云ひ、其の恩 既に山岳よりも高く、溟渤(めいぼつ)よりも深し。報謝(ほうしゃ)の志浅からんや。而(しか)るに今逆臣の讒(ざん)に依りて、非義の綸旨(りんじ)を下さる。名を惜しむの族(やから)は、早く秀康(ひでやす)・胤義(たねよし)等を討ち取り、三代将軍の遺跡(ゆいせき)を全うすべし。但(ただ)し院中(いんちゅう)に参らんと欲する者は、只今申し切る可(べ)し者(てえ)り。群参(ぐんさん)の士(し)悉(ことごと)く命に応じ、且(か)つは涙に溺(おぼ)れ申す返報 委(つまびら)かならず。只命を軽んじて恩に酬いんことを思ふ

『吾妻鏡』承久三年(1221)五月大十八日辛丑

幕府軍は三方から京都に攻め寄せ、一か月で京都は陥落。反乱の首謀者たる後鳥羽上皇は隠岐島に流され、その息子・順徳上皇は佐渡島に、土御門上皇は土佐に流されることとなりました。

承久の乱
承久の乱

京都には鎌倉が京都を監視するための出先機関として、あるお役所が設置されます。何といいますか。六波羅探題。承久の乱の戦後処理で設置された六波羅探題は、以後110年以上にわたり、鎌倉が京都を監視する目として、六波羅探題は機能していきます。

また、それまで地頭の置かれていなかった西国諸国にまで地頭が置かれます。1221年承久の乱。その戦後処理によって、ただでさえ衰えていた朝廷の権威は地に落ちました。以後、鎌倉幕府が全国組織となりいよいよ勢いを伸ばしていきます。

明日は「10分でわかる鎌倉時代(三)北条泰時・北条時頼」お届けします。お楽しみに。

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解説:左大臣光永

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