磐井の乱

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こんにちは。左大臣光永です。10月半ばの土曜日、いかがお過ごしでしょうか?

私は本日本屋に行って、『孫氏』の子供向けの絵本が平積みになっているのを見て、「うーん」考え込んでしまいました。『孫氏』で書かれているのは、要するに「いかに人を騙すか」という話です。なにも子供のころから読ませなくてもと、思うんですが。

さて本日は、「磐井の乱」です。

六世紀のはじめに九州で勃発した磐井の乱。その史料はほとんど『日本書紀』しかなく、謎に包まれた部分が多いのですが、だからこそ、古代史のロマンに人をいざなってやみません。

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朝鮮の情勢

継体天皇が即位した六世紀のはじめ、朝鮮半島には新羅、百済、高句麗の三国、そして任那の南方諸国郡がありました。

朝鮮三国と任那
朝鮮三国と任那

527年、新羅が任那を領土侵犯します。攻め込まれた任那は倭国に助けを求めてきました。

「捨て置くわけにはいくまい。しかしよくよく心してかからねばならぬぞ。誰を遣わしたものか」

そこで、近江の毛野臣(けなのおみ)に軍勢6万を与え、任那に向かわせることにします。6万の大軍団は倭を出て、朝鮮半島にわたるべく、まず九州を目指しますが、九州には、思わぬ敵が待ち構えていました。

毛野臣と磐井

527年(継体天皇21)6月、近江の毛野臣(けなのおみ)は6万の軍勢を率いて、任那を助け新羅を討つために倭を出発しました。まず九州に向かいます。九州には毛野臣のかつての同僚、磐井(いわい)がいました。今回の戦いでは、よく毛野臣を補佐するよう、朝廷から伝えられているはずでした。

「磐井、また轡を並べる日が来るとはな」

九州へ向かう途上、かつての同僚を思い、しみじみと感慨にふける毛野臣。しかし、九州の筑紫国造・磐井は、不満をたぎらせていました。

「朝廷からわれらに通達してきた。朝鮮出兵を助けよと」

「はん!お上はいつも命令するだけだ」「兵士を集め、食料武器を調達し、どんなに大変か!」「一度でも筑紫に来て、地面を耕してみろってんだ!」

ワアワア言う九州の豪族たちを前に、磐井はうむむと言葉をつまらせます。そこへ新羅からの使者が到着しました。

「新羅王は、けして戦を望まれません。新羅王から磐井殿に、友好の証として、これらの品々を」

「なに、新羅王が私のことをご存知なのか?」

「それはもう!筑紫の勇・磐井殿の噂は、新羅王の耳にも届いております」

「うぬぬ…」

このようなやり取りがあってか、どうだか、諸説ありますが、とにかく磐井は大和王権に従わないと決断します。肥国(後の肥前・肥後)と豊国(後の豊前・豊後)に軍をすすめて朝廷軍の進撃をさえぎる一方、海の向うから高麗・百済・新羅・任那などの国々の年毎の朝貢船を誘い入れます。

向かい合う毛野臣と磐井。

「磐井!なぜ私の邪魔をする!かつて我々は、同じ釜の飯を食い、轡を並べた仲ではないかーーーッ」

「その通り!われらはかつて同じ器で食った仲。それがちょこっと偉くなったからって、もう偉そうに命令しやがって。そういう態度が気に食わねえんだよ!!」

ヒュン、ヒュン、ヒュン、ヒュン

双方、雨のように矢を射かけます。

麁鹿火の出陣

「磐井背く」

その知らせは早馬をもって倭の継体天皇のもとに届けられます。

「まさか磐井が背くとは。誰を遣わしたものだろう」

「正直で、慈悲深く、兵法に通じているといったら、物部麁鹿火(もののべのあらかひ)の右に出る者はありません」

「よし…物部大連麁鹿火。磐井が従わない。お前が行って、討て」

「はっ。磐井は野蛮で狡猾な男です。川を挟んでいるのを頼みにして朝廷に従わず、山の険しいのを頼みにして反乱を起こしたのです。徳を破り道に背き、思い上がって、自分こそ賢いとうぬぼれております。その昔、神武天皇の道案内をした道臣(みちのおみ)からはじまり、代々の忠臣は帝を助け賊徒を討ち…」

「お前ちょっと話が長いよ」

「まあお聞きください。代々の忠臣は帝を助け賊徒を討ち、民を塗炭の苦しみから救ってまいりました。昔も今も同じです。ただ私は天の助けあらんことを重く思います。謹んで、磐井を討ちましょう」

「よし。行ってこい」

天皇は斧と鉞(まさかり)を取って、麁鹿火に授けておっしゃいました。

「長門より東は私が統制する。筑紫より西はお前が統制せよ。賞罰はためらわずおこなえ。いちいち吾に奏上する必要はないぞ」

528(継体天皇22)11月。

大将軍物部大連麁鹿火は、自ら賊徒磐井と筑紫の御井郡(みいのこおり)に交戦しました。バタバタバター軍旗がはためき、カーンカーンカーンカーン軍鼓が響きあい、土煙がたいへんにわき起こりました。

「死ね 麁鹿火」

「磐井、くたばれ」

カン、キン、カーーン

「ぐはっ…」

どさっ…

双方、死力を尽くして戦いましたが、ついに盤井を斬って、朝廷軍と磐井軍との境界を定めました。

12月、磐井の息子筑紫君葛子(つくしのきみくずこ)が、父の罪に連座して殺されることを恐れ、どうか、糟屋(福岡県糟屋郡付近)の屯倉をお治めくださいと、朝廷に献上しました。

「だからどうか、死罪だけは」「見苦しいのう。お前の父は背くには背いたが気骨のある男だった。それに比べてお前は何だ。お前など斬る価値も無い」こうして葛子は死罪を免れました。

≫次の章「仏教の伝来」

解説:左大臣光永

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