伊能忠敬(五)忠敬の人となり

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こんにちは。左大臣光永です。久しぶりに晴れたので二条城に行ってきました。先日の台風21号で二の丸御殿の南側の覆金具が外れて、徳川の葵の御紋が出てきたのです。それを見てきました。

たしかに、でかでかと葵の御紋がありました。私の残念な視力でもハッキリ見えました。二条城は明治に入って天皇家に接収されましたが、菊の御紋の下には徳川時代の二条城が生きている!それが実感できて、嬉しくなりました。

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本日は『伊能忠敬(五)』最終回です。「忠敬の人となり」
ここまで忠敬の生涯を追ってきましたが、最後に忠敬の性格・人柄が出ている逸話などを語って結びとします。

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伊能忠敬の容姿

伊能忠敬の肖像画を見ると、いかにも真面目そうです。厳しそうにも見えます。几帳面な感じも伝わってきます。

銅像は深川富岡八幡宮境内、千葉の佐原諏訪公園ほか全国六ケ所にありますが、やはり厳しさ・真面目さ・几帳面さなどが感じられます。

富岡八幡宮 伊能忠敬像
富岡八幡宮 伊能忠敬像

佐原諏訪公園 伊能忠敬像
佐原諏訪公園 伊能忠敬像

冗談などは言ったかわからないですが、言ったとしてもそうたびたびではないでしょう。どちらかというと、黙々と真面目に仕事をする職人気質な感じが伝わってきます。

とはいえ17年にもわたって測量隊を指揮してきたのですから、一人で黙々とやるだけの人物ではないでしょう。多くの人をまとめ上げるリーダーシップもあったはずです。

手紙

伊能忠敬は長女・イネに多くの手紙を書いています。幕府に提出する公式文書などと違い、ふだんの忠敬がよく出ており、人柄が伝わってきます。

私は幼年より高名出世を望んでいたが親の命令で佐原に養子に行き、好きな学問もやめて家業第一に励み、伊能家の家訓を守って救民も行った。功成り名遂げて引退するのが自然の道理と江戸へ隠居したところ、本邦初の日本全国測量を拝命。諸大名のお力添えを得て国々を巡り歩いたことはまことに有難く、これぞ実に天命といおうか、先祖の御礼徳といおうか、言葉では表しがたいことである。

「功成り名遂げて引退するのが自然の道理と江戸へ隠居したところ、本邦初の日本全国測量を拝命」

カッコいいですね!こんなこと言ってみたい…。しかし自分の努力や才能の問題じゃねえよと。

もっと大きなものによって、突き動かされたと。「天命」という言葉に伊能忠敬の考え方人生観が集約されている気がします。

こうも書いています。

私が天文学を好むのも、このように召し出されて諸国を測量するのも、後世に名誉を残す所存では一切ないことであって、いずれも自然天然である。しかし伊能家の主人(跡取りの景敬)は名聞を好む点、私には似ていない。

名誉のためではないのだ。自然天然のことなのだと。一方、家督を継いだ景敬はそうではないようだと釘を差しています。その景敬は忠敬の隠居後、跡をついで伊能家当主となりましたが、若くして亡くなってしまいました。

こうも書いています。

私は世の中に高名になったが、これは佐原本家(伊能家)のためである。年が明ければ六十九歳になり、元気ではあるが歯は一本だけになり、時々痛み、奈良漬も食べかねている

「奈良漬も食べかねている」ここなんかいいですね。日本地図を作った偉人というより、身近なオッサンとしての一面が見えるじゃないですか。

学問好き

伊能忠敬は大の学問好きでした。

よく伊能忠敬を評して「五十過ぎてから学問を始めた」「中高年の星!」などと言われますが、別に五十歳でいきなり学問を始めたわけではありません。

17歳から49歳まで、伊能家で商売をやる傍ら、暦学・天文学の本を買い集め、仕事の合間に勉強していました。忠敬の屋敷には5000冊の書物があったと伝えられます。

48歳の時に関西旅行をしていますが、その時の旅行記に方位や天体の測定をしたことが書かれています。独学で、そうとうなレベルまで行っていたということです。

そうした土台があった上で、隠居後、50歳で高橋至時に弟子入りしたのです。高橋至時は伊能忠敬より19歳年下。もと大坂の与力でしたが、暦学・天文学をおさめて江戸に登り、老中松平定信のもと、寛政暦という暦の制定にたずさりました。

高橋至時は19歳も年上の忠敬から弟子にしてくれと言われてはじめ戸惑ったようですが、忠敬の熱意に押され、受け入れました。至時は普通、中国の暦法から教えるが忠敬はすでにそれをマスターしていたので、直接西洋の天文学から教えたと言われます。

家族

伊能忠敬は17歳で佐原の伊能家の婿養子となります。妻ミチは4歳年上で夫婦仲はよかったようです。ミチとの間には長女イネ、長男景敬(かげたか)、次女シノが生まれました。

忠敬38歳の時、イネは病にかかり亡くなります。その後、内縁の妻を迎え、次男秀蔵、三男順治、三女コトが生まれました。

その内縁の妻とも死別し、忠敬45歳の時、仙台藩医桑原隆明の長女ノブを正式な妻として迎えしたが、そのノブも体が弱くて忠敬55歳の時亡くなります。そのほか、エイという内縁の妻がいたことがわかっています。

三男三女を得たとはいっても、伊能家は安泰ではありませんでした。

三男順治は幼くして亡くなり、次女シノは結婚したものの若くして亡くなりました。

伊能忠敬は子供たちに対しても時には容赦ない行動に出ています。

長女イネの婿が商売で失敗した時、忠敬は離縁を迫りました。イネがそれを嫌がると、勘当しました。しかしずっと後年、文化7年(1810)忠敬が65歳の時、イネは出家して妙薫(みょうくん)と名乗り、実家に戻り年老いた父に尽くしました。

次男の伊能秀蔵(しゅうぞう)は第一次から第六次の測量まで参加しましたが、第六次の途中、病気になり江戸に戻りました。その後、伊能忠敬は秀蔵を破門しています。秀蔵は素行が悪く、忠敬には許せなかったようです。また秀蔵は妾腹でありあまり愛情がなかったようでもあります。

長男景敬(かげたか)は忠敬隠居後跡をついで伊能家当主となりましたが、第八次測量の頃に若くして亡くなりました。

総じて家庭の幸福にはあまり恵まれなかったようです。

規律に厳しい

忠敬は規律に厳しく、仕事には徹底した完璧主義者でした。そういう人物にありがちなことに、癇癪持ちで気分の上下が激しかったともいわれます。

測量中は昼は測量、夜も天気であれば天体観測を行いました。そのため測量行の間は一切の禁酒を命じました。これは酒好きにはキツいですね。しかも仕事とはいえ旅先で気分も浮き立ってます。イッパイやりたい…という者もあったでしょう。

第五次測量の時は、伊能の片腕とも言える二人の隊員が忠敬のいない間に不祥事をしでかしました。出された料理を作り直させたり、その作り直しにも文句を言ったり。

買い物の代金をちゃんと払わなかったり、長州萩で、島々に渡る船がなかなか出ないのに腹を立て、煙草箱を投げ出したり…江戸に戻ってから報告を受けると、忠敬は二人を破門にしました。

神仏は篤く敬う

伊能忠敬は商人らしいリアリストで、自分で確かめたものしか信じませんでした。迷信など、もっての他でした。しかし神仏は篤く敬っていました。江戸深川から測量行に出かける時は、いつも富岡八幡宮で道中の安全を祈ってから出発しました。

また行く先々で有名な寺社の名前を記録し、その門前まで測量しています。ことに奈良の東大寺には熱心に参拝しました。

家訓

伊能忠敬が49歳で隠居するにあたって残した三か条の家訓があります。

第一 假(かり)にも偽りをせず孝弟忠信にして正直たるへし

第ニ 身の上の人ハ勿論(もちろん)身下の人にても教訓異見あらハ急度相用堅守るへし

第三 篤(とく)敬謙譲とて言語進退を寛裕(かんゆう)ニ諸事謙(へりくだ)り敬(つつし)ミ少(すこし)も人と争論など成(なす)べからず

こんな意味です。

かりそめにも人を欺いたりせず、親に孝行、兄弟仲良く、人には真心をもって正直でありなさい。

目上の人はもちろん目下の人からも教えられたら取り入れなさい

篤く敬いへりくだり、言葉や行いをやわらかに、あらゆることにへりくだり、慎み、少しも人と言い争ったりしてはならない。

忠敬の人となりがよく出ています。正直・謙譲・実直。これは商人としての心構えを記した家訓ですが、伊能忠敬の測量・地図づくりにおいても、この精神はじゅうぶんに発揮されています。

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「耳で聴く」歴史解説音声
「江戸幕府の始まり」「崩れゆく江戸幕府」
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「江戸幕府の始まり」

二代徳川秀忠から七代徳川家継の時代まで。

江戸の町づくり・春日局・徳川家光と鎖国の完成・島原の乱・由比正雪の乱・明暦の大火・徳川綱吉と生類憐れみの令・新井白石と宣教師シドッチ。そして元禄文化の担い手たち、松尾芭蕉や井原西鶴、近松門左衛門や初代市川團十郎など。

「崩れゆく江戸幕府」

八代将軍徳川吉宗、田沼意次時代、松平定信時代、11代将軍徳川家斉の大御所時代を経て、天保14年(1843)に水野忠邦が失脚するまで。

江戸幕府前半48話・後半32話に分けて解説した音声つきdvd-romです。在庫終了しだい販売終了します。お申込みはお早めに。
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■10/27 京都講演「声に出して読む 小倉百人一首」
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第四回。33番紀友則から48番源重之まで。会場の皆様とご一緒に声を出して歌を読み、解説していきます。百人一首の歌のまつわる名所・旧跡も紹介していきますので観光のヒントにもなります。

解説:左大臣光永

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