伊能忠敬(ニ)蝦夷地・東日本測量

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こんにちは。左大臣光永です。10月1日から五日間、北野天満宮の「ずいき祭り」をやりました。串カツ屋で一杯やりながら、ぼさっと祭りの喧騒を眺めてきました。ふだん人の少ない通りも、ワイワイと賑わって、楽しいかんじでした。

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「江戸幕府の始まり」
http://sirdaizine.com/CD/His09.html

二代徳川秀忠から七代徳川家継の時代まで。

江戸の町づくり・春日局・徳川家光と鎖国の完成・島原の乱・由比正雪の乱・明暦の大火・徳川綱吉と生類憐れみの令・新井白石と宣教師シドッチ。そして元禄文化の担い手たち、松尾芭蕉や井原西鶴、近松門左衛門や初代市川團十郎など。

「崩れゆく江戸幕府」
http://sirdaizine.com/CD/His09.html

八代将軍徳川吉宗、田沼意次時代、松平定信時代、11代将軍徳川家斉の大御所時代を経て、天保14年(1843)に水野忠邦が失脚するまで。

江戸幕府前半48話・後半32話に分けて解説した音声つきdvd-romです。在庫終了しだい販売終了します。お申込みはお早めに。

前回から「伊能忠敬の生涯」についてお話しています。本日は第二回「測量開始」です。

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http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/Edo_Tadataka2.mp3

第一次測量

寛政12年(1800)閏4月19日午前8時頃。56歳の伊能忠敬は門弟らを引き連れて深川黒江町の自宅を出発しました。第一回の測量の始まりです。以後、測量は足掛け17年、10回にわたることになります。

(八幡さま、どうか道中、お守りください)

富岡八幡宮 伊能忠敬像
富岡八幡宮 伊能忠敬像

富岡八幡宮
富岡八幡宮

一行はまず富岡八幡宮に参拝し道中の安全を祈ります。以後17年間、どの測量に出かける時も、伊能忠敬は富岡八幡宮に参拝するのを常としました。忠敬は商人らしいリアリストで自分の目で見たもの以外は信じませんが、神仏は篤く敬っていました。

第一回の測量に従う者は、高橋至時の部下・門倉隼人(かどくらはやと)、忠敬の15歳になる息子秀蔵(しゅうぞう)、親戚の平山宗平(ひらやま そうへい)、下男の長助(ちょうすけ)と吉助(きちすけ)でした。

一行は幕府天文方・高橋至時に挨拶をすませると、千住から奥州街道を進みました。

第一回の蝦夷地調査では、幕府役人たちは伊能忠敬の能力に不安を持っていました。なにしろ経歴も実績もない。その上高齢です。

幕府からくだされた御沙汰書における伊能忠敬の肩書は「高橋至時の弟子 下総国 佐原村 元百姓浪人」。百姓では話にならないので、形上、「浪人」ということにしたのです。続けてこう書かれていました。

「かねてから願い出のあった蝦夷地調査を試みに許可する。手当を一日銀7匁(もんめ)5分(ふん)くださる」

「試みに許可する」というところに幕府の尊大さが出ています。伊能忠敬の能力をまったく信用していないことも出ています。

日当の銀7匁5分は現在でいえば1万数千円ほどです。忠敬一人なら何とかなっても、門弟のぶんはありませんでした。それでも今回の調査は忠敬側から願い出た形であるので、文句は言えませんでした。

「地球の大きさを知りたい」

それがもともとの目的でした。しかしそのまま目的を言ったでは幕府の許可が下りない。そこで「国防のため、ロシアの脅威に備えるため、地図を作る」という口実で、蝦夷地測量が実現にこぎつけたのでした。

一行は宇都宮→福島→仙台→盛岡と測定しながら奥州街道を下りました。

街道の曲がった所では彎カ羅針(わんからしん)というコンパスで角度を、歩数を数えて距離を測定しました。

距離は正確さを求めるなら間縄(けんなわ)や間竿(けんざお)という道具を使ったほうがいいのですが、それでは時間がかかります。

出発前の幕府とのやり取りで大幅に遅れてしまいました。急がないと蝦夷地で冬を迎えることになります。そこでやむを得ず歩数を数えることで妥協せざるをえませんでした。

津軽半島三厩(みんまや)から蝦夷地に渡りました。はじめは函館に着くつもりが、風が悪いので渡島(おしま)半島の吉岡(現福島町吉岡)に上陸。

函館から室蘭を経て蝦夷地南岸を進みました。襟裳(えりも)岬は越すことができず、幕府が開削した猿留山道(さるるさんどう)を進みました。それでも難儀な道のりでした。

「ぞうりもことごとく切れ破れ素足になり甚だ困窮の所、迎提灯にあいしは、俗語にいいる、地獄に仏ともいふべし」(『測量日記』)

その後、釧路からニシベツ(西別。現北海道別海町別海)へ進み、ニシベツで北極星の高さ(緯度)を測定しました。それから根室に行こうとしましたが、人足の数が足りないので断念して戻ってきました。

帰りは元来た道を測量しながら歩き、10月21日、江戸深川の家に着きました。全日数は180日ほどでした。

蝦夷地東南部沿海地図

深川に戻った伊能忠敬は、師の高橋至時に事のしだいを報告しました。渡された資料を見て至時は、

「伊能さん、よくこれだけの仕事をやり遂げましたね」
「はっ、そう言っていただけると甲斐があります」

その後、黒江町の自宅で門人たちに手伝わせ、地図の作成に取り掛かります。襟裳岬のように峠道を進んで測定できなかった地点がいくつかありました。そういう所は保留にしました。後年、間宮林蔵による測量結果をあわせて完全な地図にしましたが、とりあえず保留は保留のまま、12月までに地図は一応完成しました。

第二次測量

できた地図を幕府役人に見せると、よく出来ていると好評でした。それで第二回目の調査も任されました。

しかし忠敬が希望する西蝦夷の日本海沿岸・オホーツク沿岸・国後・択捉・得撫(うるっぷ)の測量は許可されませんでした(理由は不明)。かわりに、伊豆~三浦半島~房総半島~本州東海岸にかけての測量を命じられました。

享和元年(1801)4月2日、伊豆に向かって深川を出発します。品川から測量をはじめ、三浦半島、伊豆半島をまわって、沼津からいったん江戸に引き返したのが6月6日。

6月19日。ふたたび深川出発。今度は房総半島に向かいました。忠敬はこの時から里程車という発明品を使いました。箱型の車で、車の回転数によって距離をはかるものです。

しかし地面が凸凹していると精度が落ちるという欠点がありました。そのため城下町など道がよい所でだけ使いました。

房総半島を一周して銚子に至り、利根川を越え、北へ北へ進み、松島に至りました。三陸海岸は入り組んでいるので、特に苦労しました。舟に乗って海中に縄をわたしたり、岬の上から測定したり、沖合に浮かべた舟から目視で計るほかありませんでした。そのため正確な測定は難しく、精度は落ちました。

その後、下北半島を一周し→青森→津軽半島三厩(みんまや)の先の宇鉄(うてつ)村まで進み、帰りは奥州街道を測定しながら12月7日、深川に戻りました。

今回幕府から支給された賃金は一日10匁で、第一回の7匁よりはマシでしたが、門人のぶんを考えるとぜんぜん足りませんでした。60両ほど自腹を切ることになりました。

忠敬は第二回の測量から戻ると、これまでの測量結果から緯度一度の距離を「28.2里」と計算しました。それを高橋至時に話しました。

「ううーむ…よく測定しましたね。しかし…」

高橋至時は思うのでした。測定にはどうしても誤差が生じる。この数字がどれほど正確なのだろうと。

第三次測量

第三次測量は享和2年(1802)6月11日の出発。江戸から奥州街道を北へ進み白河→会津若松→新庄→横手→秋田と進み、竜飛崎(たっひざき)を廻って日本海側へ。

牡鹿(おしか)半島を一周し、酒田へ。途中の象潟は元禄ニ年(1689)松尾芭蕉が旅した『おくのほそ道』最北端の地です。

文化元年(1804)の地震で海底が隆起し、陸地となってしまいますが、伊能忠敬が訪れた享和2年(1802)は大小の島々がひしめく入江でした。それは100年以上前に松尾芭蕉が見たと同じ、象潟の風景でした。

その後、酒田→新潟→柏崎と進み、善光寺→熊谷を経て10月23日、江戸深川に戻りました。

深川に戻ると師の高橋至時が伊能忠敬に言いました。

「驚きました。伊能さんの計算した28.2里は極めて正確な数字です」

この頃、高橋至時は西洋の最新の天文学書『ラランデ暦書』を手に入れ、その翻訳に取り掛かっていました。『ラランデ暦書』によると子午線一度の距離は伊能忠敬の測定したものとぴったり合っていました。

「そうでしたか!」

師の高橋至時のお墨付きをいただいたことは、伊能忠敬に自信を与えたことでしょう。

次回「西日本測量」に続きます。お楽しみに。

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「江戸幕府の始まり」「崩れゆく江戸幕府」
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「江戸幕府の始まり」

二代徳川秀忠から七代徳川家継の時代まで。

江戸の町づくり・春日局・徳川家光と鎖国の完成・島原の乱・由比正雪の乱・明暦の大火・徳川綱吉と生類憐れみの令・新井白石と宣教師シドッチ。そして元禄文化の担い手たち、松尾芭蕉や井原西鶴、近松門左衛門や初代市川團十郎など。

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八代将軍徳川吉宗、田沼意次時代、松平定信時代、11代将軍徳川家斉の大御所時代を経て、天保14年(1843)に水野忠邦が失脚するまで。

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■10/27 京都講演「声に出して読む 小倉百人一首」
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第四回。33番紀友則から48番源重之まで。会場の皆様とご一緒に声を出して歌を読み、解説していきます。百人一首の歌のまつわる名所・旧跡も紹介していきますので観光のヒントにもなります。

解説:左大臣光永

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