三代家光(七)家光についての俗説

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お忍びで出歩く家光

ところで徳川家光はお忍びで出歩くのが好きでした。

いろいろな話が残っています。

ある時家光はお供と離れて、品川の鷹場に入っていきました。すると鷹場の番人が、

「貴様!ここは禁制の鷹場であるぞ!
なに鷹狩しようとしてんだ」

「苦しうない、苦しうない」

「何だその偉そうな態度は。でやっ」

棒を振り上げて追いかける番人

「苦しうない。苦しうないと言っておろうに」

逃げ出す家光。

追いかける番人。逃げる家光。

「まったく上様はどこへ行かれたのだ…やや、
何やら騒がしいな。何事だ?」

お供の者が遅れてきてみると、家光が番人に追いかけられている。

「何たること!こら!そこな番人!」

番人は追いかけることに夢中でしたが、呼び止められて、よくよく話をきくと、将軍さまだというので、真っ青になってもう人生の終わりだと、逃げ出そうとしますが、家光は、

「熱心な番人である。褒美を取らす」

と、こんな話が伝わっています。

またこんな話もあります。

寛永11年正月28日。

家光が父秀忠の三回忌に菩提寺である芝増上寺に参詣した帰り道、愛宕神社の階段下を通りかかった所、

家光が見上げると、愛宕神社の境内に見事な梅が咲いていました。ほう見事なものじゃのう。誰か、あの山上の梅を取ってこれる者はいないか。ただし、馬に乗ったままでな。

86段の男坂を馬で登る。無茶なと家来たちは驚きます。三人が試みますが、いずれも七分方上った所で馬が暴れて、がらがらがらと転落してしまいました。

「ならば私が」

名乗り出たのは四国丸亀藩曲垣平九郎盛澄なる男。ゆったりゆったり馬を進めていきます。ふむ、やりおるな。ほくそ笑む将軍家光。

七分方まで進んだ時、馬が緊張したのか立ち止まるので、平九郎はすっと馬の汗をぬぐい、塩をなめさせると、元気を取り戻した馬は、よたっ、よたっと階段を上り、見事頂上に到りました。

曲垣平九郎、ざっと本堂へ向かうと、静に祈りを捧げた後、境内に咲き誇る源平の梅を紅、白一本ずつ手折り、

ぱかっ、ぱかっ、ぱかっ、ぱかっ、ふたたび男坂を下りて行き、将軍家光に梅の枝を献上しました。

「見事!曲垣は日本一の馬の上手よ」

家光は感激して、たいへんな褒美を取らせたという話が、講談「寛永三馬術」に語られています。

向島の長命寺に伝わる話は、

家光が隅田川の岸で鷹狩をしていた時。腹が痛くなってきた。そこで近くの寺に入って休んだ。その時家光が境内の井戸水を飲むと、すうーと気分よくなった。あっぱれじゃ。この水を長命水と名付けよう。そして寺は長命寺とするがよいぞ。とこんな話が伝わっています。

落語の「目黒のさんま」も家光をモデルにしていると言われます。

将軍さまがお忍びで目黒を歩いている時、下々の者が食べるさんまを召し上がった。それが大変気に入られた。江戸城に帰ってからも、さんまが食べたくて仕方ない。ついには「さんまは目黒に限る」と言ったという話です。

解説:左大臣光永

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