三代家光(ニ)竹千代と国松
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竹千代(家光)と国松(忠長)
家光が大病を患った慶長11年(1606)、弟の忠長が生まれます。幼名国松。母は家光と同じお江与の方。忠長は家光と違い乳母をつけずに母お江与のもとで育てられます。
竹千代は生まれながらに醜くパッとしない容貌でしたが、国松はふつうでした。なので母お江与は露骨に弟の国松を贔屓するようになります。
「国松は可愛いのう」
「母さま…」
「なんじゃ竹千代。母は国松に乳をやるのに忙しいのです。
しっし。あっちへ行っておれ」
大の恐妻家であった秀忠は、妻お江与の言いなりでした。
「あなた、国松は可愛いですわねえ」
「ああ…それは可愛いが、竹千代だって」
「なんですって!」
「いや、その、うん。国松は可愛いのう」
こうして秀忠の気持も弟国松に傾いていきました。
家光の後継者としての立場は危うくなってきました。
「これではまずい」
危機感を覚えるお福=春日局。
私がこの御方を作り上げるのだ。立派な将軍にしてみせる。他人に邪魔などさせるものか、
これは一つの説ですが、
元和元年(1615)大阪夏の陣のあった年。
家光は12歳になっていました。
「何かにつけて父も母も、弟の国松を可愛がる。
私は誰からも必要とされていないのだ…
ならばいっそのこと」
刃を喉に突き立てようとした家光
「何をなさいます!」
ばっと飛び込んできたお福が家光の手をおさえる。
「止めるな。死なせてくれ。
私は生きていても仕方がないのだ
誰からも必要とされていないのだ」
「誰からも必要とされていないことなど
ありますか。殿は、私が大切にお育てしてきました。
これからも」
そんなことがあって、お福は駿府の徳川家康に訴えました。
「ううむ…秀忠のえこ贔屓にも困ったものよ。
わかった。ワシに任せよ」
後日、家康は江戸に出向いた時に秀忠を呼んで、
「16歳になれば竹千代を上洛させよ」
「は?父上、上洛と申しますと」
「竹千代を三代将軍とするのじゃ」
家康がこう宣言したことにより、秀忠も家光を跡取りとすることを受け入れたという説です。
(『春日局略記』)
また別の説では。
家康は跡取りとして竹千代がうとんじられ国松が推されているのを聞いて、困ったものだと、二人を呼び寄せた。そして竹千代を上座を座らせた。国松が自分も上座に上がろうとすると、家康は、それはダメだ、国松は下座へと指示する。今度はお菓子を出した。まず竹千代に取らせた。次に国松に取らせた。
また、竹千代の家臣と国松の家臣に差をつけて扱った。こうした家康のふるまいを聞いた秀忠は、ああやはり跡取りとしては竹千代なのだ。それが父の考えなのだと、いたく感じ入って、以後、竹千代を跡取りとして扱うようになったという説。
(『武野燭談』)
いずれにしても、幼い頃、父と母に愛されなかった。
その思いは家光にとって深い心の傷となったことでしょう。後年、祖父家康への心酔が大きくなっていったのは、父と母に愛されないことへの反動もあったかもしれません。
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