出雲阿国と歌舞伎の始まり

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四条大橋のたもとに、出雲阿国の像が立っています。

出雲阿国の像

出雲阿国(1572?-没年未詳)。

出雲松江の鍛冶屋の娘で、出雲大社の巫女となり、出雲大社勧進のために諸国をまわったという伝説的な人物です。

そして出雲阿国のはじめた「かぶき踊り」こそ、現在の歌舞伎のルーツになったと言われています(異説あり)。

そうです。ここ四条は歌舞伎発祥の地。

出雲阿国像のすぐ近くには南座が荘厳なたたずまいを見せています(現在工事中)。

……

「傾奇者だ!」
「傾奇者が通るぞ!!」

ザッ、ザッ、ザッ、ザッ…

戦国の世が終わり、任官にあぶれた浪人や
血の気の多いのをどこに向けていいかわからない若者が溢れました。

彼らはビロードの縁取りのついた衣を着て、
派手な髪型をして、大きな刀をさして、
綺羅の限りをつくして、肩で風を切って通りを闊歩しました。

ちょっとぶつかろうものなら大変です。

ズバアア
「ぎゃああぁぁ」

一刀の下に斬られてしまいます。
彼らは通常の社会が「まっすぐ」だとすれば
「傾いている」という
意味で「傾奇者」と呼ばれていました。
前田慶次なんか有名ですね。

慶長8年(1603)の春の頃。

京都に出雲阿国という女性があらわれます。

出雲阿国(1572?-没年未詳)。出雲松江の鍛冶屋の娘で、
出雲大社の巫女となり、
出雲大社勧進のために諸国をまわったと言われます。

京都に出てきた阿国は、
四条河原や北野天満宮に芝居小屋を
開いて、人気をはくします。

切髪に鉢巻、赤字に金の刺繍の入った羽織に紫の帯をしめ、
腰には大小の脇差をはき、ひょうたんをさげて、 胸には南蛮渡来のクルスを輝かせ、

カーンカーン、ポコポコポコ…

鉦や太鼓を打ち鳴らし、打ち鳴らし、
出雲の阿国の舞台がはじまります。

阿国は舞台の上で、町娘をあやしく口説いたります。
「なあ、いいじゃねえか。遊ぼうぜ~
おいらとつきあったら、面白いぜえ~」

出雲阿国の像

「や…やめてください。私はマジメな人が好きなんですッ」

ペチンッ

「つ……いいねえぇ~。その強気なところも、
そそるねえぇ~。燃えるねえぇぇぇ~。
ますます惚れたぜええぇぇぇ~~」

…こんな感じの、たわいも無い芝居ですが、
なまめかしく、歌と踊りで魅せるのです。

しかも、
口説いているかぶき者の役を演じるのが阿国で、
口説かれている町娘を演じているのは男の役者です。

このへんの、性が倒錯した
危ない感じも、大うけでした。

「いよっ!阿国ちゃんッ!
愛してるよーーーーーーーーーーッ」

客席から声が上がります。

チャリン、チャリーーン

投げ銭が飛んで、
大賑わいでした。

これが「歌舞伎」の原型と言われています。

あまりに人気が高かったのでマネする者がふえました。

中でも遊女が客寄せのために舞を舞うということが増えました。

「風紀の乱れである。けしからん」

幕府は儒教を重んじていたので、女役者を取り締まります。

庶民は娯楽を失ってガッカリしました。しかし、

女がダメなら男だということになりました。

若衆(わかしゅ)歌舞伎。今度は美少年が舞い踊りました。

まだ声変わりもしない美少年が、舞台の上で衣の裾をひるがえして、
ひらり、ひらり踊ります。

「いいねえ。きれいだねえ。
なんだか、怪しい気持ちになっちゃうよ」

ふらふらふら~と、美少年の色香に惑わされて、
男色趣味に走ってしまうのでした。

「風紀の乱れである。けしからん」

こうして若衆歌舞伎も幕府によって禁止され、
野郎頭で舞い踊るようになります。以後、
歌舞伎は演劇として発達していくこととなります。

解説:左大臣光永

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