禁門の変(一)

長州、進発

文久3年(1863)8月の公武合体派のクーデターで京都を追放されて以来、長州人は京都に潜伏し、巻き返しための計画を進めていました。その計画とは、風の強い日を選び御所の風上から火をかけ、公武合体派の公卿・中川宮を幽閉し、孝明天皇を長州へ連れ去るというものでした。

しかし、同志古高俊太郎が新選組に捕らえられ口を割ったことにより、計画は露呈。元治元年(1864)6月5日、新選組は三条小橋西入るの旅籠屋「池田屋」に長州人はじめ尊王攘夷派志士を襲撃。肥後の宮部鼎蔵、長州の吉田稔麿はじめ尊王攘夷派の大物志士七名が、討ち取られました。

「池田屋で、同志が、殺されたのですぞ!京に攻め入るべきだ!」

「まあ落ち着いてください。そこまでやっては長州はほんとうに朝敵です」

長州では意見が割れます。

武力行使も辞さないという、来島又兵衛、久留米藩士真木和泉守らの急進派と、あくまで穏便に解決をはかろうとする周布政之助、桂小五郎、高杉晋作ら穏健派との間で意見が割れます。

しかし結局、急進派が勝ちました。

福原越後・国司信濃・益田右衛門介ら三家老が長州を出発します。尊王攘夷派の久坂玄瑞、来島又兵衛、久留米藩士真木和泉らもこれに従います。

「藩主の冤罪を晴らし、同志の敵である会津藩と松平容保、および新選組を征伐する」

それが、彼らの言い分でした。

三方から京に迫る

元治元年(1864)6月末。

長州勢は山崎・伏見・嵯峨三方から京に迫ります。

久坂玄瑞・真木和泉・益田右衛門介(ますだうえもんのすけ)率いる300人余は山崎天王山に。福原越後ら三百人余は伏見に。来島又兵衛(きじままたべえ)・国司信濃(くにししなの)率いる600人余は嵯峨・天龍寺に、京を取り囲むように、それぞれ布陣しました。

彼らの要求は、昨年の8月18日の政変で京を追われた三条実美はじめ尊王攘夷派の公卿、および藩主毛利父子の赦免。国論の攘夷への転換などでした。藩主父子の赦免はともかく、国論の攘夷への転換など時代を逆行することで、ナンセンスとしか言いようがありません。

御所を守る一橋慶喜は長州の要求を拒否。薩摩・会津・桑名などの藩兵に命じて京都の守りを固めていきます。

会津藩は神保内蔵助(じんぼうくらのすけ)率いる300余人が、葵の紋を染め抜いた旗をかかげて竹田街道の銭取橋を固め、幕府の見廻組は蒔田相模守(まいたさがみのかみ)率いる幕臣100余人、新選組は近藤、土方以下局長助勤までは甲冑に身を固め、そのほかの隊員は浅葱色のだんだら羽織をまとい、これも銭取橋を固めます。

西郷隆盛率いる薩摩勢は御所の守りにつきます。

長州側、幕府側の配置
長州側、幕府側の配置

銭取橋は、京都と伏見を結ぶ竹田街道(国道24号線)と鴨川が交差する位置にありました。現在は勧進橋と呼ばれています。

伏見の戦い

7月19日朝5時。

新選組は暗いうちから伏見の長州屋敷のまわりに張り込んでいました。いざという時は長州屋敷を焼き討ちにするよう指示を受けていました。長州屋敷は竹田海道沿いにあり、伏見稲荷から南へ5キロほどの位置にありました。

竹田街道 伏見~長州屋敷
竹田街道 伏見~長州屋敷

伏見 長州藩邸跡
伏見 長州藩邸跡

ドゴーーーン!!

伏見の方面から大砲の音が響きます。

トゴーン!ドゴーン!

「やはり、はじまったか!!」

新選組が伏見稲荷に駆けつけてみると、福原越後率いる長州勢に、大垣藩兵が苦戦していました。

こちらも大砲をぶっ放ち、小銃を撃ちまくります。双方撃ちまくり、大混戦の中、福原越後は馬上に大音声を上げ、バカカッバカカッ、バカカッバカカッとさかんに走り回りながら指揮を取っていましたが、

キューーーン

「ぐっはあああ!!」

飛んできた一発の銃弾が顎をかすめ、

ドターーッ

と地面に叩き落とされます。

「ご家老っ!!」

「か…構うな。敵を討てーーっ」

ドドーン、ドドーン
キューン、キューン

その間も双方から飛び交う弾丸。

「ご家老がやられたッ。退け、退けーーーッ」

家老福原越後が負傷したことで長州勢は総崩れとなり、撤退していきます。

新選組は福原越後の軍勢を追って、伏見稲荷から墨染まで追撃していきますが、福原は山崎まで逃げ延びていきました。

竹田街道 伏見~長州屋敷
竹田街道 伏見~長州屋敷

(山崎には敵の本体が構えている。新選組だけ突出するのは危険だ…)

近藤勇はそう判断し、いったん伏見稲荷まで退却します。

次回「禁門の変(二)」です。お楽しみに。

解説:左大臣光永

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