上野戦争

こんにちは。左大臣光永です。五月も半ばすぎますが
いかがお過ごしでしょうか?

私今朝、夢の中で酒を大量に飲んだんですが、
起きてから気分悪くウェッブて感じで、なかなか起き上がれませんでした。
現実には飲んでいないのに、です!夢で酒飲んでも二日酔いになるんですね。
人間の脳ってスゴイと思いました。

さて本日は、発売中の商品『新選組結成篇』に関連して、
http://sirdaizine.com/CD/MiburoInfo1.html

「上野戦争」です。

▼音声が再生されます▼

http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/UenoSensou.mp3

スポンサーリンク

西郷隆盛と大村益次郎

5月15日未明。

大村益次郎は江戸城のお堀のたもとの広場に
各藩の指揮官たちを集め、作戦計画書を配ります。

といっても半紙に描いた地図に鉛筆で部隊配置を記しただけの、
ぶっきらぼうなものでした。

雨がふりしきる中、作戦計画書を受け取った
西郷隆盛は、薩摩藩の配置を見て、顔色を変えました。

もっとも激戦が予想される大手の黒門口を、
薩摩藩だけで攻めることになっていました。

「大村どん、死ねと言われるとですか」

いきり立つ西郷に、大村はそっけなく答えました。

「そうです。死んでください」

もともと大村は西郷によい感情を持たず、
明治二年に暗殺されるまで、西郷はそむく、
あの男は危ないと言い続けていました。

事実、明治10年西南戦争で、西郷は明治政府にそむく形になるわけですが…

とにかく西郷と大村はそりが合わなかったようです。

それを反映してかどうか、現在、上野公園の西郷隆盛像と、
靖國神社の大村益次郎像は、向かい合い、
にらみ合うような位置で立っています。

開戦

彰義隊は大手黒門口に畳を積み重ねて、これを防塁とし、
小銃を構えていました。また左右の民家の影に身をかくし小銃を構えました。

ターン、ターン、ターン、

午前7時。雨が降りしきる中、大手門で撃ち合いが始まりました。
薩摩郡は得意の抜刀戦術は取らず、
あくまで銃撃主体の戦術に切り替えていました。

ターン、タターン、

撃っては逃げ、撃っては逃げの連続で彰義隊を翻弄します。

「大筒、打てーーっ」

ドーーン、

ドーーン、

薩摩軍から黒門口に砲撃が浴びせられます。

「退け、いったん門内に退けーーッ」

ワァー、ワァー

彰義隊は畳を積み上げた防塁を放棄し、黒門内に撤退していきます。
薩摩軍はワーーと掛け寄せて防塁を占拠し、ここを拠点に
ターン、タターンと黒門内に銃撃を浴びせかけます。

彰義隊の大筒

しかし上野の山の上からは彰義隊の大筒が薩摩軍に狙いを定めていました。

一方、根津方面へ抜ける団子坂は、長州藩が中心となって攻めていました。
団子坂を降りきり、三崎坂(さんさきざか)をのぼると、もうそこが上野台です。

長州勢が上野台に上がると、すぐに彰義隊とはちあわせます。

ターン、タターン

「退けッ、退けーーッ」

坂を転がり落ちるように撤退していく長州勢。

「逃がすな」

ターン、ターン、ターン

射撃しながらおいかける彰義隊。

長州勢が根津権現のあたりまで撤退したところで、
やぶの中に潜んでいた別働隊が、スナイドル銃を構え、

ターン、ターン

彰義隊を次々と射殺します。しかし雨のために銃が機能せず、
ガチャガチャやっているうちに藪の中に踏みこまれ、
銃剣で刺し殺される者もありました。

上野の山からは彰義隊の大筒が薩摩勢に狙いをさだめました。

ドゴーーン、

ぎゃああ!ぐわあああ!!

上からの砲撃に、薩摩勢は散り散りになって逃げていきます。
勢いづいた彰義隊は小銃を撃ちながら追いかけますが、
薩摩勢はすばしこく逃げていき、得意の抜刀突撃に持ち込めずに
いました。

「ぐぬう。薩摩の卑怯者どもめ。
これでは得意の槍をふるえぬではないか」

地団太をふむ元新撰組・原田佐之助。

午前10時。雨脚がさらに激しくなってきました。

彰義隊は山の上から上野広小路に次々と砲撃したので民家が燃えて火が出ます。
しかし雨のために燃え広がることなく、火はほどなく消えました。

福沢諭吉の講義

三田の慶応義塾では、この日
福沢諭吉が経済学の教鞭を取っていました。その教室にも
上野の山の砲撃が響いてきます。

ドドーン、ドドーン

「ひいいっ!」「先生、逃げましょう」

福沢諭吉はこわがる学生たちをなだめ、平然と言いました。

「みなさん、落ち着いてください。
このようなくだらん戦は3日もせずに終わります。
世の中に何が起ころうと、慶応義塾はゆるぎもしません。
われら慶応義塾がある限り、日本は世界の先進国なのです」

アームストロング砲射撃

この間、司令官大村益次郎は江戸城の御用部屋で
じっと目を閉じて、柱にもたれかかっていました。

「先生、彰義隊に押されています」
「先生、ほんとうに大丈夫なんですか!」

しかし大村は目を閉じて柱にもたれかかったままでした。

午後1時。本郷台の佐賀藩に命令が飛びます。

「アームストロング砲を射撃してください」

本郷台の加賀藩邸の脇。現在の東京大学構内には
佐賀藩のアームストロング砲が
4門すえてありました。イギリスから輸入し、江戸城の倉庫に
おさめられていたものです。

通常の丸い弾丸ではなく円錐形の強力な炸裂弾で、
その威力ははかりしれないものがありました。

ドゴーーーーン

「えっ?」
「なんだ?」

寛永寺境内にいた彰義隊隊士たちは、不忍池のむこう
本郷台の方面に、すさまじい音をききました。

しゅるしゅるしゅるしゅる…

ズババーーー

何が起こったか、さっぱりわかりませんでした。

木々はなぎ倒され、寺の建物は粉々に打ち砕かれ、
人間はバラバラに吹き飛んでもとの形もとどめませんでした。

「てーーっ」

続いて飛んできた二発目が、

ズババーーー

さらに寛永寺の境内に着弾し、寺寺はバラバラに
砕かれ、彰義隊は何が起こったかわからず、ただ、ただ、
逃げ惑うばかりでした。

午後3時。

彰義隊は上野の山に火を放ち、退却します。

「半日あれば勝てる」

大村の言葉の通りの結果となりました。

発売中です。

新選組結成篇
http://sirdaizine.com/CD/MiburoInfo1.html

新選組の発足から池田屋事件までを24篇の
短い話に区切って語ります。

聴いているだけで新選組のみならず幕末の歴史に詳しくなり、
現地を歩く楽しみも増すはずです。

新選組が、数ある歴史の話題の中で、
とりわけ面白いのは、すごく細かな所まで記録が残っている。
そのため、かなり細かく新選組隊士たちの
足取りを追うことができる。ということです。

それは新選組の生き残りの永倉新八氏が、
小樽で大正四年まで生き、
新選組の実に細かい記録を残しましたので、

現在に生きる我々が、隊士たちの息吹を、生々しく、
間近に感じることができるんです。
隊士たちの足跡を追い、
歴史を今に感じることができるんです。

この商品は、永倉新八氏の回顧録に基づき、
現在の言葉でわかりやすいように、
新選組について語りました。

熱心な新選組ファンの方にも、
これから新選組について学びたいという方にも、
おすすめです。無料のサンプル音声もございますので、
ぜひ聴きにいらしてください。
http://sirdaizine.com/CD/MiburoInfo1.html

本日も左大臣光永がお話しました。ありがとうございます。

解説:左大臣光永

スポンサーリンク