大化の改新
本日は、前回「乙巳の変」に引き続き「大化の改新」です。
645年6月12日、中大兄皇子と中臣鎌足は、蘇我入鹿を殺害しました。入鹿の父・蝦夷は自殺し、蘇我本宗家は滅亡しました。
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乙巳の変 事後
乙巳の変で蘇我父子を滅ぼした2日後の 6月14日、皇極女帝から息子である中大兄へ、 皇位を譲りたい旨が伝えられます。
「鎌足、どうしたものだろう。母上は
俺に大王になれと言ってこられたが」
「古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)は殿下の兄であり、軽皇子(かるのみこ)は殿下の叔父です。今、古人大兄皇子がいらっしゃるのに、殿下が位につけば、人の弟としての謹みに欠けるでしょう。しばらく軽皇子を立てて民の願いにお応えなさるのはいかがですか」
中大兄から見た孝徳天皇・古人大兄皇子
「なるほど、一理あるな」
中大兄は母皇極女帝に、帝位につくつもりが無い旨を
奏上します。
「そうですか…。中大兄にそのつもりが無いなら
仕方がありません」
皇極女帝はその日のうちに、同母弟の軽皇子(かるのみこ)に
譲位しようとします。
古人大兄皇子の最期
しかし軽皇子ははじめ、辞退し、甥の古人大兄に帝位を譲ろうとしました。
「古人大兄皇子は先の大王(舒明天皇)の子であり、年長です。この二つの理由により、古人大兄が帝位につかれるのがよいと思います」
しかし古人大兄は座を降りて後ずさりし、
「どうして私に譲ることがあるでしょう。私は出家して吉野に入り、仏道修行して大王をお助けいたします」
そう言って刷いている太刀を地に投げ捨て、舎人(とねり。親王・内親王に使える役人)に銘じて刀を解かせ、みずから法興寺(飛鳥寺)の仏殿と仏塔との間で髪とひげをそり、袈裟姿になりました。
中大兄の腹違いの兄・古人大兄皇子は有力な次期大王候補でした。しかし古人大兄皇子は震え上がってしまったのてしょう。このようにして吉野に隠遁します。しかし逃れられませんでした。
645年10月、謀反の疑いをかけられ、吉野に中大兄の軍勢が押し寄せ、滅ぼされました。
孝徳朝の始まり
こうして軽皇子が36代孝徳天皇として即位しました。中大兄を皇太子とします。ただし実際にはこの時代、まだ皇太子という制度はありません。
皇極天皇から孝徳天皇へ
左大臣阿倍内麻呂、右大臣蘇我倉山田石川麻呂、内臣(うちつおみ)中臣鎌足以下、新しい人事が発表され、年号も「大化」と定められました。
大化元年(645)12月、孝徳天皇は、中大兄の妹の間人皇女を后皇后として迎えます。また都を飛鳥から難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや)に遷します。
難波長柄豊碕宮跡
飛鳥から難波へ
改新の詔
乙巳の変から続く一連の
政治改革のことを「大化の改新」と言っています。
翌646年正月、
孝徳天皇は新政権の方針を示した
「改新の詔」を発表されました。
一、これまで土地や人民を王族や豪族が所有していたのを廃止する
一、都を定め、地方をおさめる制度を定め、国々の国境を定める。
一、戸籍を作り、民衆に田を割り当てて耕作させる。
一、従来の税制にかわって新しい税制をつくる。
それぞれ、主文と副文から公正され、主文の内容を副文が補うという形になっています。このうち副文のほとんどは後世の「大宝律令」からのコピーです。
「大宝律令」の本文は完全には残っていませんが、もっと後につくられた『養老律令』が残っているので、『養老律令』と『大宝律令』は重なる部分が多いので、『養老律令』と比較することで「四か条の詔」は「大宝律令」のコピーらしい、とわかります。
大宝律令ができたのは大化の改新よりも50年以上後です。後の時代の条文をコピペして、改新の詔だとしているわけです。雑な仕事です。
では主文は孝徳天皇の時代に出されたと信用できるのか?これも信用できるという説、できないという説入り乱れており、本当のところは「わかりません」
副文はコピー、主文も信用できないと見ると、大化の改新は捏造だ、そもそも、無かったという論になります。改新の詔なるものはあったが、原文が失われてしまったので『日本書紀』をつくるときに『大宝律令』の条文からコピーしたという意見もあります。今後の研究が待たれるところです。
薄葬令
大化の改新の一環として出された法令に、たとえば薄葬令があります。古代の王君や豪族は、やたらと大きな墓を作らせていた。人民が使役され、苦しみのもとである。今後は墓は質素なものにしなさいという法令です。
墓の大きさ・動員できる人民の数など細かく規定しました。これより古代の前方後円墳化のような巨大な墓はなくなりました。
大化の改新における中大兄の役割
実は『日本書紀』には中大兄が大化の改新にかかわった記事は一つだけです。私的な部民を廃し、天皇が一括して土地と人民を支配する。
その手本となるためにまずは自分の部民を孝徳天皇に献上した、という記事です。
よくイメージされているような、「大化の改新は中大兄が率先して行った。そして律令国家の基礎を整えた」ということは、『日本書紀』にはまるで書かれていません。後世作られたイメージです。
次回「蘇我倉山田石川麻呂の粛清」に続きます。
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聴いて・わかる。日本の歴史~飛鳥・奈良
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第一部「飛鳥時代篇」は、蘇我馬子や聖徳太子の時代から乙巳の変・大化の改新を経て、壬申の乱まで。
第二部「奈良時代篇」は、長屋王の変・
聖武天皇の大仏建立・鑑真和尚の来日・
藤原仲麻呂の乱・
桓武天皇の即位から長岡京遷都の直前まで。
教科書で昔ならった、あの出来事。あの人物。
ばらばらだった知識が、すっと一本の線でつながります。
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京都講演のお知らせ
「京都で声を出して読む 小倉百人一首」
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小倉百人一首の歌を声を出して読み、< 解説していきます。
特に、歌や作者に関係した京都周辺の名所については 詳しく解説していきますので、旅や散策のヒントにもなります。