曾我兄弟の仇討ち

忠臣蔵の元禄赤穂事件、伊賀越えの仇討ちと並び、
日本三大仇討ちに数えられる、
曾我兄弟の仇討ち。

それは、源頼朝が征夷大将軍に任じられた
翌年に起こりました。

巻狩

建久四年(1193年)5月。

源頼朝は多くの御家人を率いて、
富士の裾野で一ヶ月にわたり大規模な巻狩を行いました。

巻狩とは囲いを作ってその囲いをじょじょに狭めていって
獲物を追い込む狩のことです。

先年、頼朝は朝廷から征夷大将軍に任じられていました。
今回の巻狩は、そのことを天下に広く示す、政治的な
デモンストレーションの意味がありました。

また、長男の頼家を、御家人たちの前で
後継者として示す、お披露目の意味もありました。
時に頼家12歳です。

はっきりと数は記録されていませんが、
多くの御家人が参加した、とても大規模な狩でした。

曾我兄弟の襲撃

その巻狩の最終日、5月28日の夜。

事件は起こります。

頼朝配下の御家人の一人工藤祐経(くどうすけつね)は、
宿所で遊女を抱いて酒を飲んで寝ていました。

ぐがー、ぐかーー、

気持ちよくおおいびきをかく工藤祐経の
部屋の戸がすっと開き、すっ、すっと
忍び寄る二つの人影。

「工藤祐経。起きろ、おい、起きろ」

ゆさゆさ、ゆさゆさ

「う…うん。お?うおっ?何者じゃ、お前らは」

「われは曾我十郎祐成(そがじゅうろうすけなり)」
「同じく曾我五郎時致(そがごろうときむね)」

「父の敵工藤祐経、その命もらいうける」

ずぶぁ

ぐぎゃああああ。

その声を聞きつけた工藤祐経配下の侍たちが、

「な、なな、何事だーーっ」

あわてて飛んできて、ばっと部屋に飛び入ると、
主君工藤祐経が無残な姿に斬り殺されていました。

「おのれ、やったのはお前たちか。
許さん」

「兄上」「おうよ弟。いざ討ち死にせん」

キン、カン、カカーン、カン

曾我兄弟は二人で大勢を敵にまわし奮戦しますが、
兄祐成は仁田忠常に討ち取られ、
弟時致はたったったったーーと逃げ出し、待ていと迫り来る
追っ手をかわし、何を思ったか、頼朝の寝所に駆け込みます。

「な、なにごとじゃっ」

すぐに跳ね起きる頼朝。

「覚悟」

頼朝に斬りかかる曾我時致。その後ろから、

「させるかーーっ」

頼朝の従者五郎丸が曾我時致を取り押さえ、

どたーーっ
「神妙にしろ!」
「くっ…無念」

ついに曾我時致は取り押さえられました。

曾我時致は父の仇討ちのほか、
将軍源頼朝の暗殺も狙っていたようです。理由はまったく不明ですが、
彼ら曾我兄弟の独断ではなく、指示を出した黒幕がいた、
という説もあります。

十七年の恨み

翌5月29日。

頼朝は捕えた曾我時致を尋問します。

「なぜこんなことをした。
どのような理由があるというのだ。
父の敵と申しておったが?」

「左様。工藤祐経は父の敵じゃ」

「どのような事情があるのだ。とにかく話してみよ」

ならばと曾我時致は語り始めました。

17年前の安元二年(1176年)
伊豆奥野で行われた巻狩の際、
曾我兄弟の父河津祐泰(かわづすけやす)は、
従兄弟の工藤祐経によって殺されていました。

曾我兄弟
曾我兄弟

伊豆の所領争いによる恨みから起こった殺人事件でした。

河津祐泰が殺された後、その妻満江御前(まんごうごぜん)は
曾我祐信と再婚します。そして二人の息子一萬丸(いちまんまる)と
箱王丸(はこおうまる)はそれぞれ成長し、
曾我祐成(そがすけなり)、曾我時致(そがときむね)となったのでした。

そして父の恨みを晴らそうと、機会をうかがっていました。

実に17年目にして念願かない、
父の討たれた時と同じ巻狩という舞台設定のもと、
父の敵・工藤祐経を討ち取ったのは武士の本懐と言うべきだったでしょうか…

曾我時致の語るあだ討ちの物語に、頼朝はじめ
並み居る御家人たちは涙に袖をぬらします。

「父の無念をはらさんがための苦節十七年。
あわれなことよ。まこと孝行の鏡よ」

しかし、殺された工藤祐経には、
8歳の息子犬房丸(いぬぼうまる)がいました。

「おのれ人殺し。父を返せ、父を返せーーっ」

泣きながら父の敵曾我時致につかみかかる8歳の
犬房丸。そのさまを見て、曾我時致は言葉を失います。

(俺は、父の敵工藤祐経を倒そうと、
それだけを支えに生きてきた。
そしてついに、その本懐を遂げた。

だが、今泣きじゃくっているこの子は、
かつての俺自身ではないか…

ああ、なんという業の深さ)

頼朝は、曾我兄弟の事情には同情を感じつつも、
工藤祐経の息子犬房丸が、あまりに哀れということで、
ついに曾我時致を許しませんでした。

曾我時致は粛然して首を斬られます。

それにしても、頼朝の寝所近くまで賊の侵入を許して
しまったことは、ゆゆしき事態でした。

この頃はまだ将軍を警護する親衛隊のような制度も
整っておらず、警護が手薄だったのです。

一説には、曾我兄弟に頼朝暗殺をたきつけたのは
北条時政だったと言われます。

父の仇討ちはともかく、曾我兄弟には頼朝の命を狙う動機が薄く、
北条時政が裏で指示を出したと考えられるのです。

旗揚げ以来の苦楽をともにしてきた舅の北条時政でしたが、
すでに頼朝との間に不和が起こっていたのかもしれません。
真相は闇の中ですが、ともかく

元禄赤穂事件、伊賀越の仇討ちと並び
「日本三代仇討ち」の一つに数えられる
曾我兄弟の仇討ちの顛末でした。

つづき 頼朝から頼家へ

解説:左大臣光永

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