権力をふるう白河法皇

そびえ立つ九重の塔

白河天皇は意に沿わない側近を次々と左遷するなど権力をふるう一方、深く仏教に帰依していました。承保2年(1075年)白河天皇は鴨川のほとり、白河(現岡崎)の地に法勝寺を建てます。

「見事ですなあ」「すごいわねえ」
「何階建てになるんでしょうか」

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人びとが言い合っているのは、法勝寺の中島に建設中の塔のことです。最終的には九重の塔となりました。東国から京へ来る旅人の目に、まっさきに法勝寺の塔が飛び込んできます。白河天皇の権威をしめすように九重の塔はそびえ、法勝寺は「国王の氏寺」と言われました。

法勝寺についで尊勝寺・最勝寺・円勝寺・成勝寺、延勝寺と次々に寺が建てられ、これらを総称して六勝寺(ろくしょうじ)といいました。

法勝寺の落成供養式について、
『古事談』に、あるエピソードが記されています。

いよいよ法勝寺が落成し、落成供養式を行うことになりました。
しかし供養式の日、ドザーーーと雨が降っていました。

「いたしかたあるまい。日をずらそう」

そこで別の日を設けた所、また雨でした。

「いたしかたあるまい。日をずらそう」

別の日を設けた所、また雨でした。

「次は雨でも、やるのだ」

三度雨で延期となり、四度目に落成供養式は決行されました。
しかしこの日もポツ、ポツ、ポツと降り始め、ドザーと大雨になります。

白河上皇はカッと天を仰ぎ、

「ええい。何度も何度も邪魔をしおって。
無礼な雨である。許し難い」

白河上皇は器に雨をためさせて、これを牢獄に投じた、という話です。

鳥羽の離宮

ガラガラガラガラ…

白河法皇を乗せたお輿が、建設中の鳥羽離宮の前を通ります。まわりを多くの武士が馬に乗って警護しています。

「立派なお輿だなあ」
「周囲を取り巻いているのが北面の武士か」
「かっこいいわねえ」

人びとは言い合いました。

お輿の中で白河上皇がつぶやきます。

「着実に進んでいるではないか。完成するのが楽しみだ」

鳥羽は平安京の南3キロに位置し鴨川と桂川が合流し宇治川に流れ込み、広大な巨椋池に面した水郷地帯です。山陽道が通り、淀川を通じて瀬戸内海へも出やすい交通の要衡でした。平安京の朱雀大路から南にのびる鳥羽作道(とばのつくりみち)が通じます。古くは右大臣藤原時平の別荘がありました。

白河上皇はここ鳥羽の地に離宮を建設しました。広大な池の周囲を取り囲むように、まず南殿が完成し、北殿、東殿、田中殿などの御所が、次々とできていきました。

鳥羽は日に日に賑わいを見せていきます。さながら第二の平安京です。

後年、白河上皇の曾孫の後白河法皇が、平清盛によってここ鳥羽離宮に幽閉されることになります(治承三年の政変)。

白河上皇の熊野詣で

1096年1月22日、38歳の白河上皇は、貴族や僧侶を大勢ひきつれて、熊野詣でに出発されました。

「うわーっ、何ですかこの行列は!」
「なんと豪華な…!!」

道沿いの人びとはたまげて、言い合いました。街道いっぱいに馬にのった警護の武士や僧がひしめき、所々に立派なお輿が顔をのぞかせて、ゆっくりと行列は進んでいきます。

「あの先頭のお輿が上皇さまのでしょうか?」
「さあ、どうでしょうなあ。とにかく、我々庶民とはかけ離れた世界ですよ」

一行は京都を出発して摂津渡辺から天王寺、住吉を経て紀ノ川を渡り、藤代峠を越え、田辺に至ります。田辺から中辺路(なかへじ)と呼ばれる山道を通って2月10日、熊野本宮大社に到着します。

白河上皇の熊野御幸
【白河上皇の熊野御幸】

「ありがたや、ありがたや…」

本宮の熊野坐神社・新宮の熊野速玉神社・那智の熊野夫須美神社。これら三社をあわせて熊野三山といいます。

古くは907年、宇多法皇が参詣されたのを始めとして、80年ほど後の992年には花山法皇が参詣されています。しかしいずれも一回のみの参詣で、それほど大規模なものではありませんでした。

今回の白河上皇の熊野御幸は、宇多法皇や花山法皇の時代とはけた違いの絢爛豪華さです。しかも1回に留まらず、続く約40年間のうちに白河上皇は9回も御幸されています。

道中では神楽が演じられ、相撲が披露され、また和歌や管弦。白拍子が舞い踊ったり、大賑わいの一大イベントでした。

その出費も膨大で、貴族からも庶民からも非難の的となりましたが、「治天の君」…絶対権力者たる白河上皇は、

「非難など、気にするな」

「私がやると言ったら、やるのだ」

白河上皇の曾孫の後白河法皇はさらに熊野に熱心で生涯34回も御幸しています。白河上皇や後白河法皇の熊野御幸により、熊野信仰はたちまちもりあがります。皇室や貴族はじめ武士や庶民にも熊野信仰は広がっていきました。1059年平治の乱は後白河の側近の藤原信頼が起こしたクーデターですが、平清盛が熊野参詣に行っている隙に決起したことは有名な話ですね。

つづき 僧兵の強訴

解説:左大臣光永

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