甲州勝沼の戦い

こんにちは。左大臣光永です。1月も末ですが、
いかがお過ごしでしょうか?

私はしばらくインフルエンザだったようで、病床にふせっていました。
微熱と微妙な吐き気がしつこく続いた感じですね。
みなさんは、風邪で長い間布団に入る必要がある、しかも
もう十分に眠っていて眠れないという時、どうしてますか?

私は子供時代に住んでいた町を頭の中に思い浮かべ、
頭の中で歩くのです。
今回もずいぶん歩きました。布団の中にいるのが楽しくなります。
風邪の時はおすすめです。

さて本日は新選組の第48回「甲州勝沼の戦い」です。

故郷に錦を飾る

甲陽鎮撫隊と名をあらためた新選組が
江戸を発ったのが慶応四年(1868年)3月1日。

初日は新宿の遊女屋を貸し切っての大騒ぎとなりました。
翌朝、酒でぼんりする頭を無理に奮い立たせながら、
一向は西へ向けて甲州街道を出発しました。

「トシよ、なつかしいなあ。やはり多摩は落ち着くよ」
「そうか。俺は別に何とも思わんが…」

近藤勇は大久保大和(剛)と名を変え、大名並に長棒引戸の籠に乗っていました。
土方歳三は内藤隼人と名を変え、西洋式のコートで馬に乗っていました。

近藤の故郷多摩も、土方の故郷日野も、
街道沿いです。ひさびさの里帰りで、
近藤と土方は大歓迎されます。

「まあまあ、宮川の倅が、こんな立派になって帰って来て」
「勝ちゃん、俺のこと、おぼえてるか~」
「まあトシさん、若いころもよかったけど、
また一段と男っぷりがよくなって~!

なにしろ多摩の百姓の息子が、堂々旗本となって
帰ってきたのです。故郷に錦を飾る、とはこのことでした。

沖田総司の離脱

沖田総司も病をおして、今回の甲府行きに同行していました。
しかし、持病の肺結核はかなりの段階まで進んでいました。

「沖田くん、大丈夫かい」

「なに、心配しないでください。…ごほっ。
池田屋討ち入りの時はだいぶ苦しかったですが、
…私は、まだまだ戦えます」

日野で、土方歳三の姉の夫である佐藤彦五郎の館で
送別会をした際に、沖田が苦しそうにしているのを、
佐藤彦五郎は心配しますが、

沖田は明るく笑って、

「このとおりです」

そう言ってしこを踏んで見せるのでした。
それを見て土方歳三の長兄で盲目の為次郎が、

「えらい。その意気で、押し通せ」

そう言って励ましました。

しかし、日野までついて来るのが沖田には限界でした。
もはやこれ以上進むことは困難となり、
沖田は甲陽鎮撫隊から離脱し、江戸で静養生活に入ります。

甲府城 新政府軍の手に落ちる

三月二日与瀬(よせ)。
三日猿橋(さるはし)。
四日駒飼(こまがい)に一行は宿を取ります。

五日。勝沼に入った時、
先鋒した騎馬隊が戻ってきて報告します。

「大変です!甲府城は、すでに
敵の手に落ちています!」

「なっ…!!」

板垣退助率いる新政府軍
東山道先鋒隊三千名が進路を変え、
すでに甲府城に入っていたのでした。

隊士たちの間に動揺が走ります。

「おい、もう勝ち目はないんじゃないか」
「ここまで来るとなあ…」

脱走する者が相次ぎました。

近藤 追い詰められる

味方が次々と脱落するのを見て、
不安になった隊士たちは、永倉新八、原田佐之助に
訴えます。

「永倉さん、原田さん、増援がこないんじゃ
戦になりません。この調子なら、私たちもう、
戦いません。近藤さんに、何とか言ってください!」

「ううーむ。わかった。俺から
局長に話してみよう」

永倉新八は近藤勇に言います。隊士たちが
増援が来ないなら戦わないと言っていると。
すると近藤は、

「今戦をやめるわけにはいかん。
永倉、隊士たちにこう伝えてくれ。
会津軍三百名が、もう猿橋まで来ていると。
明日の朝には到着するはずだから、戦は、
大丈夫、戦えると…」

「近藤さん、それはウソでしょう!」

永倉が目をむきますが、

「ウソではない!…
あながちウソではないのだ。
今土方を、江戸に向かわせている。
うまくいけば、旗本の菜葉隊が合流してくれる…」

「そんな、あてになる話なんですか!」

「いいから隊士たちにそう言え!!」

その威圧的な言い方に、永倉新八はむっと
しますが、結局近藤の言ったように隊士たちに
伝えました。

その夜は、
鶴瀬、勝沼両宿に篝火をたかせます。

それを見た新政府軍は、

「おお!敵があんなにも集まっている」

と、さらに兵を増強します。ことごとく、近藤らにとって
不利に事態が運びました。

次に手を変えて、甲州城にたてこもる岩倉具視に使いを立てます。

「それがしは甲州鎮撫隊長・大久保剛である。
岩倉公にお会いして直接申し上げたき儀がござる」

しかし、甲府城では、

「挨拶は鉄砲でいたす」と言って、相手にしませんでした。

土方歳三が迎えに走った
旗本の菜葉隊も、なんのかんのと言って
重い腰を挙げずませんでした。

会津の増援というのも
近藤が苦し紛れについた嘘でした。

客観的に見て、この段階で近藤がやるべきことは
隊士たちに嘘をわび、
撤退することだけに思えます。

(だが…だが、ここで撤退すれば
士気が下がる…)

近藤は、司令官としての冷静さを
完全に失っていました。

勝沼の戦い

3月6日。

近藤は鶴瀬と勝沼の間の観音坂に
大砲を設置し、原田佐之助にこれを守らせます。

間道がいくつもあるのでそれぞれに5名ずつ配置して
斉藤一の隊がこれを守備し、

永倉新八の隊は川を越えて山の上から敵の襲撃に備えます。

ほどなく、新政府軍が勝沼の関門を破り、
観音坂へ押し寄せてきました。

ワァー、ワァー

「きたぞっ」
「打ち方はじめ」

ドーーン!!

一発打つと、新政府軍はバタバタと倒れました。そこへ

「てーーっ」

ドーーン!!

二発目を発射すると、新政府軍はバタバタとまた多くが倒れます。
しかし、新政府軍は数が多くキリがありません。

新政府軍は川を越えて永倉新八が
守護する山のほうに押し寄せてきます。

ワァー、ワァー

この時、地元の農民が数名、弁当持参で
戦の見物に来ていました。非戦闘員には
攻撃しないと、安心しきっているんですね。

「なっ…!のんびりしやがって。昔の関ヶ原やなんかと
勘違いしてんじゃねえぞ。邪魔だ。どけ」

ドーーン!!

農民に当たらないように空に向けて発射すると、
う、うへえと皆逃げていきました。
そして、ふもとの民家に火をかけます。

ゴォーー、ゴォーー

燃え広がる炎。

しかし、

ワァー、ワァー

新政府軍は数にまかせて、炎の中押し寄せてきます。
敵は大勢。こちらは小勢。しかも永倉新八率いる猟師たちは
そもそも戦の心得がなく、混乱して味方を打つようになりました。

「やむをえん…退け、退けーーっ」

わずか二時間で近藤は撤退を命じるほかなくなりました。

次回「永倉新八 近藤勇と袂を分かつ」お楽しみに。

本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。

解説:左大臣光永