近藤勇狙撃事件

こんにちは。左大臣光永です。
三が日の最終日、のんびりお過ごしでしょうか?
私は正月に引いた風邪が治まり、
ようやくお屠蘇を飲んでいるところです。

まずは前回の訂正です。

「神武天皇が西へ向かった」は
「神武天皇が東へ向かった」の間違いでした。
訂正してお詫びいたします。

さて本日は新選組の第44回「近藤勇狙撃事件」です。

大政奉還後の混乱

慶応三年(1867年)十月十四日。

十五代将軍は土佐の山内容堂のすすめにより
大政を奉還しました。

これで、徳川の世はいちおうの幕を下ろしました。

しかし、260年以上も続いた一つの時代が、
簡単に切り替わるものではありません。

この時の混乱ぶりは大変なものでした。

京都から伏見にかけて街道沿いに
薩長の兵が殺到し、埋め尽くされました。

大阪城では旧幕臣が連日、議論を戦わせていました。

「そもそも大樹公は天下万民のためを思い、
無益な戦を避けられたからこそ、260年来の
政権を朝廷に返上されたのである。それを薩長のカン族どもは、
政権だけでなく、領土まですべて返上せよと!
では何か?徳川の臣はすべて、路頭に迷えというのか!」

「断じて許せぬ。薩長討つべし」

「薩長討つべし」

「や、しかし勝ち目があるのか」

「無い!だがやるのが武士であろう」

「領民を犠牲にしてもか」「ぐぬぬ」

議論はいっこうに進みませんでした。

旧御陵衛士の間者

さて新選組は竹田街道脇の伏見奉行所跡を屯所としていました。
(ここが、新選組最後の屯所です)

世間では大政奉還後の混乱の中、
新政府軍と旧幕府軍が一触即発といった感でしたが、
新選組内部でも一つの争いが起こっていました。

油小路で粛清された伊藤甲子太郎の一派・旧御陵衛士が
薩摩藩に身を寄せ、
近藤勇をつけ狙っていたのでした。

(おのれ近藤勇。伊藤先生の敵…)

中にも永倉新八の部下の小林敬之助は
旧御陵衛士の篠原泰之進と連絡を取り合っていました。

永倉新八はたまたま小林敬之助が篠原泰之進にあてた手紙を
手に入れました。

手紙を開けてみると、そこには新選組の軍備や
組織、命令系統など新選組の機密がことごとく書いてありました。

「ううむ…けしからん!」

永倉は、これを土方歳三に報告します。

「私の部下からこのような者が出たことは
至極残念だ。私が斬ろう」

しかし土方は永倉に言います。

「政情不安定のこの時期に
裏切り者が出たとなれば、隊士たちに動揺が走る。
ここは、内々に処理するのがよかろう」

「…なんです?副長が私に用?」

小林敬之助が永倉に呼び出されて土方の部屋に行ってみると、
土方は例の手紙を前に座り、ただならぬ表情をしていました。

あっ…これはバレたなと
真っ青になる小林の後ろから、

「でいっ」
「ぐわっ!!」

大力の島田魁が小林を羽交い絞めにして、
ぐ、ぐぐぐ、ぐぷぷ…ぐはっ。
小林を絞め殺してしまいました。

これが慶応三年(1867年)十二月十六日のこと。

墨染の難

そして二日後の十二月十八日。

近藤勇は二条城の永井玄蕃守尚志(ながいげんばのかみながゆき)に
召し出され、軍議に加わっていました。

今後、薩長といかに戦うべきかと。

そして軍儀が終り、近藤勇が二条城を出たのが午後二時頃。

「近藤さん、やはり戦でしょうか」
「うむ。戦は避けられんな」

などと言いつつ、

近藤勇の周りを島田魁、石井誠之進ほか
20名ほどが警護し、
近藤の馬の轡を下僕の久吉(ひさきち)が執り…

京都二条城から新選組の屯所となっている
伏見奉行所まで約5キロの道のりを、
近藤の馬を中心に、ぱっかぱっかと一行は進みます。

午後四時頃、伏見にほど近い
墨染にさしかかった時、

街道脇の空き小屋の障子の陰から、
息を殺し、待ち伏せている者がありました。

伊藤甲子太郎の盟友の
篠原泰之進、富山弥兵衛の両名です。

鉄砲を構えていました。

「近藤勇…伊藤先生の敵…ッ」

そして道を挟んで反対側には
やはり伊藤甲子太郎の盟友である阿倍十郎(あべじゅうろう)、
内海次郎(うつみじろう)が
槍を構えて潜んでいました。

「必ず仕留めてやるッ…!!」

鉄砲がうまくいかない場合は、すぐに
襲い掛かる手はずでした。

かっぽ、かっぽ、かっぽ、

そうとは知らず道を進む近藤勇一行。

「きたっ」

かっぽ、かっぽ、かっぽ、

馬上の人物。その顔は忘れもしない、
わが盟友伊藤甲子太郎を死においやった
憎き敵・近藤勇。

かっぽ、かっぽ、かっぽ、

篠原泰之進はぐっと引き金を引き絞り、

ターーーン

と放った弾が近藤の左の肩を貫き、

「ぐはあっ」

「あっ、おおっ、曲者、曲者ーーッ」

二十名ほどの警護の者は寄せ集めだったのか
わらわらーっと逃げていき、
島田魁、石井誠之進らが踏みとどまって賊を迎え撃つ体勢を取ると、

「近藤勇、覚悟ーーーッ」

じゃっと太刀を抜いて篠原泰之進、富山佐兵衛両名が斬りかかり、
街道を挟んで向かいからも阿倍十郎、内海次郎が長刀を持って駆け出し

キン、カカン、キーーン

斬りあいになります。近藤勇は

「う…ううう…」

よろめきながらも、かろうじて落馬はせず、
馬の鞍壷につかまると、
下僕の久吉が

「近藤さん、逃げてください」

ピシィーーーン

思いっきりムチを当てたので

ひひぃーーん

ばかかっ、ばかかっ、ばかかっ

馬は土煙を上げて駆け出し、

「ああっ、待てい近藤」

近藤を追って飛び出した佐原太郎を、

「させるかよ」

島田魁が大力で取り押さえようとしますが、

するりと佐原太郎は島田魁の巨体をかわし
近藤の乗った馬を追いかけるも、

ばかかっ、ばかかっ、ばかかっ…

全力で駆けていく馬に
人間の足では追いつきようもなく、
とうとう取り逃がしてしまいました。

この戦いで、近藤の下僕の久吉と
石井誠之進両名が斬られました。

襲撃の後、篠原一味は京都の東山に潜伏し、
真夜中に今出川の薩摩藩邸に駆け込みます。

伏見にも薩摩藩邸はありますが、伏見では
新選組に狙われる危険が高いため、
あえて京都に戻ったものでした。

※襲撃時の篠原一派の配置は諸説あり、
正確には判明していません。

次回「鳥羽伏見の戦い」お楽しみに。

本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。

解説:左大臣光永