新選組 第39回「伊東甲子太郎の脱退」

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慶応二年(1866年)12月5日。

第二次長州征伐の最中に没した
徳川家茂にかわって、徳川慶喜が15代将軍に就任します。

20日後の12月25日には孝明天皇が崩御。
年明けて慶応三年(1867年)1月。明治天皇 ご即位。

時代は、確実に動いていました。

伊東と近藤

そんな中、新選組には一人の
不平分子の姿がありました。

伊東甲子太郎です。

伊東が新選組に入隊するのは、尊王攘夷を行うためでした。
天皇を崇拝し、神国日本を守るために
外国人を殺害する。テロも辞さない、過激で、原理主義的な
尊王攘夷。それが伊東の目指す尊王攘夷でした。

一方、新選組も最初は尊王攘夷を旗印に
結成された隊ではありました。

しかし長く幕府のために働いているうちに、
近藤の気持ちは完全に佐幕に傾いていました。

尊王だ、攘夷だというややこしい話ではなく、
ただ徳川に尽くす。それだけでいいのではないかと。

幕府は日に日に開国に向けて動いている。
それなのに幕府を助ける立場にある新選組が
攘夷を行い、外国人を殺すのは矛盾であるというわけです。

しかし、伊東にはその点が納得いきませんでした。

(攘夷を行わないなら、新選組にいても意味が無いではないか…)

新選組に入れば思う存分外国人を殺害できると
思っていた伊東は、失望していました。

さらに伊東の心を近藤から引き離したのが、
山南敬助の切腹でした。

山南敬助は伊東と同じく教養人で、勤王思想の持主でした。
何かと伊東と気脈を通じあっていました。

また個人的にも新選組隊士の中にあって
山南さんは話しやすい、今後も長くつきあっていきたい
という気持ちもあったのでしょう。

その山南敬助が、近藤勇によって切腹を命じられ、
しかも伊東も幹部の一人として切腹の現場に
居合わせました。

昨日までの同士が無惨な姿となるのを
直接、目の前にしたのです。伊東の近藤に対する反感を
かきたてるのに、十分すぎることでした。

(近藤勇。あの男さえいなくなってしまえば…)

伊東甲子太郎は何度か
近藤の殺害をくわだてます。

しかし、近藤のそばには
常に土方歳三、沖田総司ら強豪の姿があり、
実戦経験の乏しい伊東には、太刀打ちできる
ものではありませんでした。

会合

慶応3年(1867年)3月のある日。

伊東は七条醒ヶ井(さめがい)の
近藤勇の愛妾・美雪太夫の家に
近藤を訪ねます。

近藤のそばには土方歳三が、
伊東のそばには篠原泰之進がひかえていました。

「で、伊東くん、篠原くん、
話というのは?」

伊東は近藤のそばでニラミをきかせている土方歳三のほうを
ちらりと見てから、切り出します。

「昨今の情勢を見るに、
長州は幕府に征伐軍を向けられてからというもの、
ますます幕府を怨み、よからぬ企みを練っております。
これを見過ごしてよいものでしょうか」

「よいわけがない。そのための新選組だ」

「そこでです。私が間者となって、
長州に潜伏します。
そして長州の情報をさぐるのです。
しかし、そのためには表向き新選組を脱退しなければなりません。
今夜は、そのこと、ご了承いただきたく…」

キッと眼を吊り上げる土方歳三。

「こやつ、何を言出だすか!脱退は法度により切腹ぞ!!」

「まあ待てトシ」

近藤はいきり立つ土方をなだめ、伊東に向き直ります。

「伊東くん、話はわかった。
俺としても長州の内実は探りたい。
しかし新選組を出るといっても、あてはあるのかね」

「はい。実は…」

伊東甲子太郎の下準備は周到でした。

昨年暮れに崩御した孝明天皇の陵をお守りするため、
御陵衛士という役職が作らていました。
作られたといっても、これは伊東が東山戒光寺の
勤王派の僧・堪然の仲介によって
自分たちのために作った役職でした。
伊東はその御陵衛士に就任する渡りを、すでにつけていたのです。

そして実弟の三樹三郎、篠原泰之進以下十四名が、
すでに御陵衛士に就任する手はずが整えてありました。

「十四名を引き連れて脱退!
ば、ばかを言うなーーーーッ」

刀の柄に手をかけて、斬りかからんとする土方を
なだめる近藤。

しかし、伊東が挙げた中に藤堂平助の名があったことには
少なからず衝撃を受けていました。

藤堂は試衛館時代からの近藤の同士でした。
しかし山南敬助の切腹以来、近藤から心が離れていたのでした。
それを、伊東は引き抜いていくというのでした。

その点には近藤も抑えきれない衝撃と
怒りをおぼえながらも、

「伊東くんが言うのは、新選組から分離し、
薩長に潜入する。その上で薩長の情勢を報告する。
つまり外側から新選組の活動を支援しようという策だろう。
そうだな、伊東くん」

「その通りです」

「わかった。許そう」

「近藤!!」

「ただし、いざ事が起こった時、
今言った連中だけでは心もとない。
腕の立つものが一人必要だ。
たとえば…斉藤くんなどはどうかね」

「斉藤さんですか!
新選組には欠かせない人材じゃないですか。
連れて行って、よろしいんですか」

「こちらには土方がいる。
何の問題も無い」

結局、伊東以下十五名の新選組分離を許す、
ということになりました。

伊東はすっかり近藤のことを信用していましたが、
近藤は斉藤一を監視役として伊東につけて、
逐一その動きを報告させるつもりでした。

門出

慶応三年(1867年)3月20日。

伊東甲子太郎以下12名は西本願寺の新選組の屯所を出ます。

最後に向き合う近藤勇と伊東甲子太郎。

「短い間でしたが、近藤さん、みなさん、
本当にお世話になりました」

「うむ。今後は往来で会っても、
言葉は交わさないようにしよう」

「ブンガク先生の講義が、もう聞けなくなるなるのかあ」
「新選組から色男が一人減っちゃうなあ」

などと言い合う隊士たちとも別れをすませ、
西本願寺の屯所を出ていく伊東甲子太郎一行。

その背中をじいっと見つめながら近藤は、
もちろん、このまま伊東を見過ごす
つもりは、ありませんでした。

次回「新選組 第40回「御陵衛士」
お楽しみに。

解説:左大臣光永

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