山南敬助の最期

こんにちは。左大臣光永です。
秋の味覚もわくわくするこの時期、いかがお過ごしでしょうか?
私は今日の昼はサンマ定食を食べてみました。
ほどよい火の通り具合で、やわらかすぎず固すぎず、
香りもよかったです。

さて本日は新選組の第35回
「山南敬助の最期」です。

慶応元年(1865年)2月23日。

新選組総長山南敬助が、脱走しました。

試衛館からずっと近藤と一緒にやってきた
新選組創業前からのメンバーである山南が脱走したことに、
隊士たちは衝撃を受けます。

近藤は沖田総司に命じ、
山南を追跡させます。

その晩。

山南は大津に宿を取っていました。

一風呂あびて山南が部屋に戻ってくると、
部屋の中にしゃんと座った影法師が見えます。

「あっ…」

す…と障子を開く山南。

「沖田くん、君だったのか…」

「山南さん、どうしてこんなことに。
ぼくは、悲しいですよ」

大津の夜

その夜、こうこうと輝く大津の月を
眺めながら、
沖田と山南は夜を徹していろいろなことを話します。

「沖田くん、覚えてるかなあ、二年前の今日のこと」

「はい。ぼくたちが、京都についた日です」

2年前の文久3年(1853年)2月23日。

この日、芹沢鴨、清川八郎はじめ230名あまりの浪士組は、
中仙道を歩ききり、京都に到着したのでした。

その後、浪士組が壬生浪士組となり、新選組となり…

あわただしい毎日の中、ただもう
斬って、斬って、斬りまくって…
過去をふりかえる暇もありませんでした。

「思えばあの日、三条大橋を渡った、あの瞬間から、
もう引き返せない所に
踏み込んでいたのかもしれないねえ…」

「しかし……なぜですか山南さん」

「難しいねえ…近藤局長と私は、どこかで
目指す道が違ってきてしまったんだろうねえ…」

切腹

翌朝。

山南は、おとなしく沖田とともに壬生に戻り、
前川邸の一角に監禁されます。

永倉新八と伊東甲子太郎が山南の監禁されている
部屋にきて、しきりに言います。

「山南氏、後のことは我々が何とかする。
もう一度脱走されよ」

「そうですとも。こんなことで死ぬなんて、
ばかげている。野蛮だ」

しかし山南は首をふります。

「永倉さん、伊東さん、ご厚意かたじけない。
しかし私はすでに切腹を覚悟しています」

間もなく近藤局長が、土方歳三、沖田総司、斉藤一ら
幹部を伴ってあらわれ、申し渡します。

「新選組の法令により、脱走の故をもって切腹を言い渡す」

「有り難きしあわせでござる。
…介錯は沖田くんに頼めるでしょうか」

すぐさま黒羽二重の紋付に着替え、布団を敷いて真ん中に端坐し、
水杯を昨日までの同士たちと酌み交わします。

以後、事は粛々と運びました。

端坐する山南の後ろに、沖田総司が真っ青な顔をして立ちます。

「沖田くん、声をかけるまで、刀を下ろしてはだめだよ」

新選組幹部たちが見守る中、
山南は小刀を取り上げ、ずぶりと腹に突き立てると、
ブスッブススッ…と
真一文字に腹を引き裂いた所で、

「沖田くん…」

そこで沖田は一息に刃を振り下ろし、

ズバンッ…

ゴトッ。

後には前にうっぷした山南の胴体と、切り離された首が転がりました。
誰も彼も、昨日までの同志の凄惨な姿に
涙がこみあげるのを抑えきれませんでした。

「浅野内匠頭でも、こう見事に果てることはできぬだろう…」

近藤勇も、思わずつぶやきました。

伊東甲子太郎の歌

中にも伊東甲子太郎は山南の死にひどい衝撃を受けました。

伊東は過激な尊王攘夷論者といっても、
それはあくまで理屈の上での話。目の前で昨日までの仲間が
切腹して果てたことに、ひどく動揺しました。

縁側に一人茫然ととたたずむ、伊東甲子太郎。

(山南さん…あなたとはもっと色々なことが
話してみたかった。新参者の私でさえこうなのですから、
古くからの同志である方々は、どれほどあなたの死を
惜しんでいることか…)

やがて伊東はつぶやきます。

春風に 吹きさそわれて 山桜
散りてぞ人に をしまるるかな

山南敬助の墓は京都下京区の光縁寺にあります。

次回「西本願寺」に続きます。

解説:左大臣光永