新選組 第32回「伊東甲子太郎と新たなる部隊編成」

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新しい隊士を募集するため江戸に下った近藤勇。

その成果は上々でした。

応募者50名。

池田屋事件で新選組の名が上がっていたことも、
応募が多かった理由でした。

「よしよし。まずは、上々。
しかし気になるのは伊東甲子太郎…。
あの男、問題を起こさなければいいが…」

不安と期待

近藤は、今回入隊した伊東甲子太郎に
一抹の不安をおぼえていました。

伊東甲子太郎はインテリの文学青年であり、
涼しい目をした美男子でした。

しかし一方で、水戸で勤王(きんのう)思想を学んだ、
過激な尊王攘夷論者でもありました。

その点が近藤には気になりました。

もちろん新選組もはじめは
尊王攘夷をかかげていました。

しかし、長く幕府のために働いているうちに、
近藤の中で考えが変わり始めていました。

(外国人を殺害してどうなるというのだ。
それに、幕府は開国に傾きつつある。
ならば幕府に仕える新選組が攘夷を行うのは矛盾ではないか…)

(そうはいっても、伊東の学識は、いかにも欲しい。
新選組は無学な武骨者ばかりだからなあ。
伊東がいい刺激を運んでくれるやもしれん)

などと、

さまざまな思惑がありながらも、
近藤は新規隊員50名を率いて10月16日に江戸を出発。
同27、京都壬生に到着します。

「近藤さん、おかえりなさい」
「近藤さん、久しぶりの江戸はどうでしたか」
「ああ。試衛館も落ち着くが、壬生もなかなか、戻ってきたという気がするよ」

沖田総司や土方歳三、

いつもの面々が久しぶりの近藤を迎えます。

伊東の文学指南

さて、伊東甲子太郎は新選組着任早々、
参謀兼文学指南役に任じられます。

暇な時は、伊東甲子太郎は隊士を相手に講義を開くのでした。

「おい、文学先生の講義が始まるぞ」
「ちょいと冷やかしていくか」

ほうぼうの部屋から、隊士たちがトントンと廊下に出てきて、
講義を行う広間に集まってきます。

そこで伊東甲子太郎は隊士たち十数名がひしめく部屋で、
その前にしゃんと座って、
書見台を横に、講義を始めます。

「よいですか。みなさんは、いつ戦場で命を落とすかわからん。
さて昔のえらい武士というものは、必ず辞世の歌というものを詠みました。
武士たるものが、下手くそな辞世を詠んでは、末代までの恥さらしです。
しかしよい歌を詠むには普段から勉強しておかないといけません。
万葉、古今、新古今、こういったものを学んでですな…
ふだんから頭の中に、たくわえておくのです」

「先生…そんな、俺たちおぼえるなんて、無理です」
「あっしらバカですから」

「あいや安心されよ。
特にめぼしいものを選んで、
ふだんから声に出すだけでよろしい。
すると、体にしみわたるのですな。歌の心が。

なかなか、何も無いところから一から
作ろうとて歌は出るものではない。

普段から古歌を学んでいるからこそ、
いざ詠むという時、ああこの経験は、
もしや古歌に詠まれたあの心と重なるものかと、
つながりが、でてくる

…おや、土方さん、
いかがですか土方さんもご一緒に」

廊下を通りかかった土方歳三は、
一瞬伊東と目をあわせて、
ふんと一声、通り過ぎます。

「まいりましたなあ…
私はどうやら土方さんに嫌われているみたいです」

「違うんですよ先生、副長はね、
自分より女にモテそうな色男が入ってきたんで、
内心あせってるんですよ」

どおっと湧き起こる笑い声を背にして土方は、

「ふん。くだらん…
近藤、おい近藤」

近藤勇の部屋の前で声を上げます。

「おう、どうしたトシ」

「どうしたもこうしたも無い。あの小僧は危ない」

「危ない?」

「そうだ。頭でっかちの、文学青年。
しかもガチガチの攘夷論者ときている。
どうも俺には、かつての清川八郎が重なる」

「ハハア確かにあれは清川の風だ。だが心配するなトシ。
もし何かしでかすなら…
新選組内部の不満分子をあぶりだすキッカケにもなる」

「ふむ」

「それになトシ、
新選組は学問の無い武骨者ばかりだ。
ああいう頭でっかちの小僧も
一人くらいいたほうが皆の刺激になる。
時に土方、お前は俳句をやるな」

「なに俳句?俳句がどうした」

「伊東に見てもらったらどうだ。
俳句のほうも、奴はかなりの素養があるぞ」

「いらぬ世話というものだ」

長州征伐を前に

しかし、このようなのんびりした日常が、
長く続くはずもありませんでした。

近く幕府による長州への
大規模な反撃が予定されていました。

なにしろ長州は内裏に向けて発砲したのです。

朝敵です。

これを見過ごすわけには、
いきませんでした。

長州征伐となると新選組も、
その一翼を担わされることになるはずでした。

来るべき長州征伐に向けて、
近藤は江戸で新たに加わった隊士を加えて、
部隊編制を行います。
この頃、隊士の数は70名に膨れ上がっていました。

「いよいよ長州の奴らと戦か…」
「気をひきしめてかからねば、ならんな」

隊士たちがガヤガヤ言っている中、近藤が声を上げます。

「来る長州征伐における部隊編成を発表する」

一番組 沖田総司

二番組 伊東甲子太郎

三番組 井上源三郎

四番組 斎藤一

五番組 尾形俊太郎

六番組 武田観柳斎

七番組 松原忠司

八番組 谷三十郎

ざわざわ…ざわざわ…

隊士一同、どうにも納得がいかない様子でした。

「二番組が伊東ってのは、どういうこった」
「あの文学先生、新選組に来て一月も経ってないのに!」
「近藤さん…文学先生のことをえこひいきしすぎじゃないのか?」

ざわざわ。ざわざわ。

確かに、えこひいきと見られても仕方ないほどの、破格の待遇でした。

これより2年後の慶応2年(1866年)には
伊東甲子太郎は「参謀」に任じられます。

また伊東の弟の三樹三郎は副長助勤と同格の
組長に任じました。近藤の伊東甲子太郎にかける
期待の大きさだったのですが…
隊士たちの中には不公平感が蔓延していました。

「以上である!!」

ざわざわ…ざわざわ…

なんだよそれゃ。どうも納得いかねえ。

そんな空気でした。

しかも、近藤が発表した部隊編成の中には、
新選組にとって欠かせない二名の名がありませんでした。

永倉新八と藤堂平助です。

藤堂はこの時期江戸に下っていたので
仕方ないのですが、
永倉にはもっと深刻な事情がありました。

さてその事情とは?

次回「新選組 第33回「第一次長州征伐」」に続きます。

本日も左大臣光永がお話いたしました。ありがとうございます。
ありがとうございました。

解説:左大臣光永

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