天王山の戦い

こんにちは。左大臣光永です。日に日にむし暑くなってきますが、いかがお過ごしでしょうか?
昨日はきれいな虹が出ました。すごくクッキリしていて、あれが質量の無い光の現象とは思えないくらいでした。

さて本日は新選組の第29回「天王山の戦い」です。

「それっ。一気に長州を追い落とせーーッ!!」

元治元年(1864年)7月21日、
長州に対する幕府軍の反撃が始まりました。

神保内蔵助(じんぼくらのすけ)率いる会津藩兵と新選組が山崎方面へ出撃。翌22日、西郷隆盛率いる薩摩藩兵が嵯峨天竜寺方面へ出撃します。

ドゴーーン

ぎゃあああ

ドガーーン

ひいいいぃぃぃ

翌22日。薩摩藩兵は嵯峨天龍寺にたてこもる長州勢を壊滅させます。

ワァー、ワァーー、

散り散りになっていく長州勢。

「山崎で、味方と合流するのだ。一兵でも多くたどりつけ!」

長州勢は山崎方面の味方と合流を目指して落ち延びます。しかし北からは薩摩勢、東からは会津勢・新選組と挟み撃ちにされます。

ドンドン、キューン、キューン

いいように打ち破られ全軍総崩れになりました。そんな中、久留米藩士・真木和泉守は、藩兵一同を前に言いました。

「真木和泉はここ天王山にて討死の覚悟である。志を同じくする者は残って運命を共にせよ。そうでない者はこれより馬関に落ち延び、反撃の準備をせよ」

宍戸美濃(ししどみの)、国司信濃(くににしなの)、益田右衛門介(ますだうえもんのすけ)ら三家老に率いられ、藩兵の多くは丹波口から長州へ向けて落ち延びていきます。残った者は17名。真木和泉とともに天王山を枕に討死の覚悟を決めます。

天王山へ

新選組はいったん銭取橋の陣営にもどって隊を整えると、すぐさま会津藩兵とともに山崎を目指します。

「敵は天王山にあり!」
「長州なにするものぞ!」

会津藩兵も新選組も、勝ち戦に勢い付き、淀川を超える時などは会津藩兵と新選組で先陣、後陣を競い合い、さながら源平合戦の、梶原・佐々木の宇治川先陣争いの再現となりました。

近藤勇以下、沖田総司、永倉新八、原田佐之助、井上源三郎以下40名が、人数の少なさから来る機動力のよさを生かして、まっさきに天王山中腹の宝積寺(ほうしゃくじ)に集結します。

「一気に攻め落とせーーーッ!!」

けわしい山道を駆け上がる新選組隊士たち。7月の炎天下のことで、みな甲冑を脱ぎ、軽装になっていました。

「新選組に先を越されるなーーーッ!!」

後に続く薩摩藩兵・会津藩兵。

山道のそこかしこに和式の木製大砲が打ち捨ててありますが、人の姿は見えません。

「さては山頂にて立てこもり一気に攻めかかるつもりだな。小癪な」

新選組隊士40名エイオウと声をかけあいながら細い山道を駆け上がり、山頂まであと二・三町という地点までさしかかった。その時、

山頂の一角から、金色の烏帽子に直垂を着た人物が、右手に金の采配を持ってすうっと現れます。おおっ、ああっ!?あっけにとられる新選組隊士たち。見るとけっこうな年配です。男の後ろにズラッと和式の木製大砲をかまえた決死隊17名が並びます。男はきいっと眼下をにらまえ、

「討手の臣、いずれの臣なるか。まずお互いに名乗ってから戦おうではないか。かく言う我は長門宰相の臣・久留米藩士 真木和泉。名乗れ名乗れーー」

真木和泉は采配を上げて、しきりに招きます。

真木和泉

「なんだあいつは!」
「戦国時代と勘違いしてんじゃねえか」
「おいオッさん、無理すんな」

ガヤガヤ言う隊士たちを抑えて近藤勇が、

「徳川の旗本・新選組近藤勇」

続いて会津勢から

「会津藩 神保内蔵助」

近藤、神保の名乗りを受けて真木和泉は

「ほおおおおーーーーーーーー」

いきなり奇声を上げます。

「なんなんだあいつは」
「ちょっとおかしいぞ」

ワアワア言う新選組隊士たちには目もくれず、真木和泉は朗々と詩を吟じると、

キョッキョッキョッキョッ…

それと唱和するかのような、ほととぎすの声。吟じ終わって真木和泉は、

「エイ、エイーーー」

勝どきを上げ、続いて17名の決死隊も

「エイ、エイーーー」

勝どきを上げ、

ドン、ドンドンドンドン、ドンドン、ドン

一気に大砲を放ちました。

「うわああ」

あっけにとられていた新選組隊士たちの中に、永倉が腰に、原田が脛に傷を負ってしまいました。

「小癪な。撃てーーーッ!!」

ワァーー、ワアーーー、

ドン、ドンドンドン、パパーンパパーン

双方小銃を放ち、天王山の山頂付近は火薬の煙が立ち込め、空中で弾と、弾がぶつかりあうほどの勢いの中、乱戦は小一時間にも及びますが、真木和泉以下決死隊17名は弾を撃ち尽くすと、

「退けーーーい」

陣小屋の中に駆け込み、立てこもります。

「皆、ここまでよく戦った。帝への奏上が叶わなかったことは返す返すも無念だが、諸君の戦いにより、長州の義は後世にしっかりと示されたはずである」

そして陣小屋に火薬をしかけ、ドン、ドンドンドンドン…ゴオーーー…燃え盛る炎の中で、全員切腹して果てました。炎がやんだ後、焼け跡の中に、烏帽子をかぶり直垂をまとった人物が切腹しているのを見つけ、遺体を丁重に取扱いました。

「なんという見事な最期じゃ…」

新選組も会津藩兵も、思わず声をもらしました。中にも近藤勇は、目をぱちぱちさせて、真木和泉の死に強い衝撃を受けていました。

(これが武士というものか。俺は、こんなふうに潔くできのるだろうか…)

ワアーーー、ワアーーーー

天王山山頂に勝どきが上がります。

ここに長州勢は京都より一掃されました。

その頃京都では炎が燃え上がり、3万戸を焼いていました。池田屋事件でせっかく長州の焼き討ち計画を食い止めたのに、結果として同じことになってしまったのです。

(ああ…なんということだ…)

肩を落とす新選組隊士たち。

幸いにも壬生界隈にまでは火は及んでいなかったので、7月23日、隊士たちは屯所に到着しました。池田屋事件で凱旋した時とはまるで違う、なんとも心苦しい帰還でした。

次回「近藤勇 江戸へ下向する」です。

本日も左大臣光永がお話しました。ありがとうございます。ありがとうございました。

解説:左大臣光永