新選組 第09回「清河八郎の暗殺」

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清河八郎に率いられた浪士組本隊は、
3月13日に京都を出発。
来た時と同じ中仙道を通って28日、江戸に入り、
本所三笠町の旗本小笠原加賀守の空屋敷に入ります。

中仙道
中仙道

幕府としては、清河の裏切り~幕府のためにといって
浪士組を集めておいて、それを倒幕のために
使おうとした、そのことは憎いが、
浪士組自体は利用してやれという考えでした。

動き出す清河

江戸に戻った清河八郎は、
さっそく攘夷を実行に移そうとします。

「外国人どもめ。思い知らせてやるぞ」

伝通院 清河八郎の墓
伝通院 清河八郎の墓

横浜の外国人屋敷を焼き払い、
逃げまとう外国人を手当たり次第に斬り殺そうという計画です。
清河は石坂周造・村上俊五郎ら同士とともにかけずり回り、
連判状への署名を集めます。

攘夷には資金がいります。

そこで裕福そうな商人の家に上がりこんでは、
押し借りをやります。

「攘夷である。攘夷には金がいる。
わずかな金子を惜しんで、
日本が外国の手に渡ったらどうなる?
金子などもう意味がなくなるぞ。ならば今、われら攘夷志士に貸せ。
もちろん無期限無担保で」

などと延々とゴネルのでした。向うがウンザリして金を出すまで、
ゴネました。こうして軍資金をためました。

4月10日、清河は若者数人を連れて横浜に行き、地理の下調べをします。
翌日江戸に戻り、同士一同を前に宣言します。

「4月15日を決行の日とする」

暗殺指令

しかし清河の動きはすでに幕府に発覚していました。
浪士組をあのようなペテンで私のものとしようとした前科が清河にはあるのです。
危険人物として幕府にマークされていました。

開国を目指す幕府としては、
ここで外国と騒ぎを起こされてはたまりません。
第二の生麦事件になってしまいます。
なんとしても清河の暴発を阻止しなくてはなりませんでした。

老中板倉勝静(いたくらかつきよ)は、
信用できる七名の者を自邸に招き、ひそかに指令を下します。

「清河を斬れ」

刺客は佐々木只三郎、速水又四郎、
高久(たかく)安二郎ほか七名。
いずれも腕の立つ剣客ぞろいでした。

決行2日前

「ううう…風邪ひいたかなあ」

横浜から帰って以来清河は風邪ぎみでした。

決行2日前の4月13日。

この日清河は麻生一橋にある
出羽上之山(かみのやま)藩邸内の長屋に住む同士・
金子与三郎の家を訪ねて行く約束でした。

朝風呂に入って、真っ青な顔色で出かけていきました。

この日の清河八郎のいでたちはいつも通り、
黒羽二重(くろはぶたえ)の紋付着物に紋付羽織を着て、
鼠竪縞(ねずみたてじま)の仙台平(せんだいひら)の袴をはき、
髪は総髪(そうはつ)、檜で編んだ陣笠をかぶっていました。

途中、浪士取締役の高橋泥舟(たかはしでいしゅう)の
もとに寄って雑談をします。

泥舟はすぐに登城しなければならないといって
出かけていったので、清河は婦人相手に笑い話をしました。

「奥さん、歌が出来ましたよ」

「えっ…なんです」

「歌です。いいのができた。無地の扇子をくれませんか。
三本」

清河が奥さんから無地の扇子を受け取ってさらさらっと書いた歌

魁てまたさきがけん死出の山
迷ひはせまじすめらぎの道

砕けてもまた砕けても寄る波は
岩角をしも打砕くらむ

君はたゞ尽しましませおみの道
いもは外なく君を守らむ

「まあ、なんだか辞世みたいですわねえ…」

「やだなあ奥さん。
僕の覚悟を歌ったんですよ」

しかし、これらの歌が本当に
清河の辞世となってしまいます。

高橋の家を出ようとすると、馬喰町(ばくろちょう)の旅籠屋から
やって来た同士石坂周造と出会わせます。
石坂が清河に声をかけます。

「どこへ行くか」

「約束があって金子のところへ行くんだ。
金子もいよいよ同意しそうだよ。
今日はぜったいに血判させてしまうつもりだ」

「幕府の目が厳しくなっている。気をつけたまえ」

清河と石坂は、そのまま別れます。

麻生一の橋

金子の長屋で清河は、しこたま酒をふるまわれます。いい具合に
酒がまわって外に出た時には、もう七つ(午後四時)を少し過ぎていました。

昼からずっと飲んでいたので、足元がひょろひょろします。

「ああ…いい気分だ」

右手に鉄扇を持ってゆったりゆったり麻生一の橋を渡っていくと、
前から二人の武士が、

「清河先生」

と声をかけます。見れば、佐々木只三郎と速見又四郎でした。
二人とも講武所出身の剣客で、清河とは知り合いでした。

「おう」

清河が会釈をすると、佐々木はかぶっている陣笠を脱いで、
ふかぶかと丁寧にお辞儀をします。

これはと清河も恐縮して左手で陣笠を脱いで、
脱いだと思ったその時、

後ろからさっと斬りつけたものがあります。

あっと清河は、刀に手をかけますが、抜くことはできず、

「残念」

ドッ…

前のめりに倒れて息絶えました。

伝通院 清河八郎の墓
伝通院 清河八郎の墓

江戸に帰って18日目。攘夷実行の2日前のことでした。
享年34。清河の懐に抱いていた連判状から、
清河の同士が一網打尽となります。

清河亡き後、江戸に残された浪士組は、
新徴組(しんちょうぐみ)と名を変え、
江戸の治安維持にあたることになります。

一方、京都に残った浪士組は、壬生浪士組と名を変えて
会津藩御預となって京都の治安維持にあたっていました。

次回「新選組 第10回「だんだら羽織」」お楽しみに。

解説:左大臣光永

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