浪士隊 中仙道を行く

こんにちは。左大臣光永です。
まだ雪が残っている中、隣町の江古田まで行ってきました。
いつもは何でもない道のりですが、雪に足を取られ、
異常に遠く感じました。

本日は新選組の第六回「浪士隊 中仙道を行く」です。

出発

中仙道
中仙道(クリックで拡大されます)

2月8日、浪士隊一行230名あまりは、
ふたたび小石川伝通院に集まり、
まず板橋から中山道を通って京都へ向けて出発します。

小石川伝通院
小石川伝通院

板橋宿本陣跡
板橋宿本陣跡

あえて東海道でなく中仙道になったのは、
浪士組のガラの悪いのを見た幕府が、何か問題でも起こされたら困ると、
あえて表道である東海道をはずして
中仙道を進むことにしたとも言われます。

近藤勇は3番組、後に6番組の平浪士でしたが、
すぐに宿の手配をする役
「道中先番宿割(どうちゅうさきばんやどわり)」に
任じられ、一行より少し先を、宿の手配をしつつ進むことになります。

7組に分かれて中仙道を進む一行。

その中に浪士募集の立役者である清川八郎は
特別扱いのつもりで列を離れ、高下駄をはいて、
反りの無い長い刀をさして、隊の先になり、後になり歩いていきました。

「ちっ、なんだあの野郎。特別扱いのつもりか。
つるんとした顔しやがって」

そんな不満な声もあったかもしれませんが、
清川は胸にある作戦を秘めており、ゆうゆうと歩いていきました。

芹沢鴨

もう一人、わがままな問題児がいました。

芹沢鴨。神道無念流の免許皆伝で、
力量ことにすぐれ、「尽忠報国の士 芹沢鴨」と掘った
大きな鉄扇を握っていました。

「なにい。もういっぺん言ってみろ」

ちょっとでも気に食わないことがあると、
喉が裂けるほど怒号します。まわりはピリピリします。

芹沢は常陸国行方群芹沢村(茨城県行方群玉造町芹沢)の出身で、
本名は下村継次(しもむらとしつぐ)。

水戸勤皇派の武田耕雲斎の弟子となり、
耕雲斎が結成した天狗党には三百名を預かる幹部として参加しました。

ところが天狗党が潮来(いたこ)の宿に駐屯している時、
部下二人が何かのことで芹沢を怒らせます。
その時芹沢は、死ねや。ズバッと二人を斬り殺します。
そのため、殺人犯になってしまいました。

短気で、わがままで、乱暴で、
どうにも手に負えない男でした。

鹿島神宮に参詣した時などは、
拝殿の太鼓に対して難癖をつけます。

「なんだあの太鼓は!でかすぎる。めざわりな」

バシン、バシン、ドドン、

「ああ、やめてください。破けてしまいますう」

持っていた鉄扇で太鼓をメチャクチャに叩きまくり、
とうとうぶち破ってしまいました。
キレたら何をするかわからない男です。危険な男です。

とうとう掴まって、牢屋に入れられます。
そりゃ殺人犯人ですから。しかし、芹沢は懲りませんでした。

「なぜワシがつかまるのだ。理不尽だ!」

芹沢は面あてに死んでやろうと思い、牢の中で断食し、
小指を噛み切って、ぽたぽた滴る血潮で

雪霜に色よく花のさきか(が)けて
散りても後に匂ふ梅が香

なんとも血なまぐさい辞世の歌を書いた紙片を、
ビタア!と牢屋の格子に貼っておきました。

そのまま行けば死刑になるはずだった芹沢ですが、
今回の浪士募集の恩赦にあずかり、
罪ゆるされ、シャバに戻ってきたわけです。

最初の事件

さて近藤は、幕府の役人である池田徳太郎とともに
道中先番宿割(宿の手配係)に任じられ、
一行より一足早く宿場、宿場に入って宿の手配をしていました。

板橋、蕨、浦和、大宮、上尾、桶川、鴻巣、熊谷、深谷と行って、
3日目に次の本庄につきますが、
近藤はどうしたわけか芹沢の宿を取ることを忘れていました。

夕方になって本隊が到着しますが、
芹沢の宿が無いとわかり、アッしまったとなります。

「芹沢先生、我々の手違いです。いまからでも、何とかしますので…」

さまざまに侘びを入れますが、芹沢はむっつりとふんぞり返って、
言葉の一つも発しません。よほど怒っている様子でした。
終いに言いました。

「いや、ご心配には及ばぬ。宿が無いなら無いで、
なんとかなるものだ。今夜はかがり火を炊いて暖をとろうと思う。
ただし、少し大きなかがり火になるかもしれんから、驚きなさるなよ」

日が暮れるとすぐに芹沢は手下に命じて
手当たり次第に木材を持ってこさせ、
宿の真ん中で天も焦がせと、ごうごうとかがり火を炊き始めます。

バチバチッ、バチバチ…

火の粉が風に吹き飛ばされて、家々に雨のようにふりかかります。
燃え移ったら大火事になります。
家々の屋根には人が上り、いつ燃え移ってもいいように、
桶に水を入れて構えて百姓町人、寝ることもできないという始末でした。

近藤は芹沢にぺこぺこ頭を下げます。

「芹沢さん、勘弁してください!すべて、
私どもの手違いです。すぐさま、かわりの宿へご案内いたします。
だからどうか、かがり火だけはお消しください」

そこへ宿の役人が飛んできて、

「なんだこれはーーっ。誰の許可を得て篝火など炊く。
早く消せーーっ」

そのカン高い声が芹沢をイラッとさせます。

「やかましいわ!!」

芹沢はやにわに鉄扇を振り上げ、

バシーーー

思いっきり張り倒すと、
役人はその場できゅううと卒倒してしまいました。

ようやく宿の手配ができたので近藤らが芹沢を案内すると、
入り口の札には「三番組」と書かれていました。
それを見てまたも芹沢はイラッとします。

芹沢は物も言わずその札を削り、
「一番組」とでかでかと書いて、座敷へ通りました。

「わしは一番がいいのじゃ!
三番は、すかん!」

ついに無理やり、一番組の組頭になってしまいました。

芹沢 反省する

このように芹沢は行く先々でわがままをします。

浪士隊の付き添いをしていた幕府の役人山岡鉄舟は、
ほとほと芹沢の行いに閉口していました。

あと4日で京都という加納宿に入った時、芹沢に向かって、

「拙者は、辞職して、江戸に帰る。後は勝手にやってくれ」

「な…山岡さん…」

さすがの芹沢も、面くらいます。

この浪士隊において山岡鉄舟はなくてはならぬ存在でした。
浪士隊付き添いの役人の中で、一番まともなのは山岡でした。
鵜殿鳩翁などは老人すぎて話が通じそうにありませんでした。

今山岡が帰れば、浪士の取締りがつかず、
収集がつかなくなることは目に見えていました。

「山岡さん、拙者のわがままが原因ですか…」

「ほかに何がある!」

「…わかりました。以後、つつしみます」

さすがの芹沢もシュンとなります。
その後、中津川についた時に芹沢は
組頭をやめさせらてしまいます。

道中のトラブル

また道中、六番組の組頭
村上峻五郎と、近藤勇の盟友である山南敬助との間で、
言い合いとなります。

「ふん。試衛館?どこの田舎道場だそれは」

そんな感じで、村上峻五郎は見くびります。

天然理心流も試衛館も、しょせんは小さな
田舎剣法・田舎道場にすぎず、村上峻五郎としてはハァ近藤勇?
誰だそいつという感じでしたが、
近藤の盟友たる山南敬助としてはそれが屈辱でした。

「そこまで言うなら、実際に刃をまじえてみましょうか。
まあ、万に一つもあなたに勝ち目があるとは思えませんが」

「な、なにぃ」

こんなふうに、山南敬助と村上峻五郎は
道中、たびたび衝突していました。

京都 三条大橋

三条大橋
三条大橋

このように、ゴタゴタだらけの道行きでしたが、
江戸を発って16日目の2月23日。一人の脱落者も無く、
一行は三条大橋を渡り京都に入ります。

黒谷 三条大橋
三条大橋

黒谷 三条大橋
三条大橋

「うおーっ、京都だ!ついに来たぞー」
「これが鴨川か?ちっせえなあ。多摩川のほうが勝ってらあ」
「おっ、きれいなお姉さんたちが歩いてる!
おーいお姉さんたち」

黒谷 三条大橋
三条大橋

「なんやのん、あの汚い連中」
「アホがうつるわ」

そんな場面も、もしかしたらあったかもしれませんね。

「近藤さん、宿所はこの近くですか?」
「うん。少し西だ」

一行は京都市内をずんずん歩いていきます。

「近藤さん、まだ先ですか」
「まだ西だ」

一行は京都市内をぐんぐん歩いていきます。

「近藤さん、そろそろですか。だいぶ辺りが寂しくなってきたんですけど」
「もうちょっとだなあ」

ついに京都の西の果て、壬生村に一行は到着しました。

壬生村
壬生村

壬生村
壬生村

次回「清河八郎の謀反」に続きます。

解説:左大臣光永