鉄砲伝来

種子島

ビュゴオォォォォォォ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

天文12年(1543)8月、九州種ヶ島沖では一昼夜にわたり台風が吹き荒れました。翌日。カラーッと晴れました。種子島西村(にしのむら)の村人が海岸に出てみると、

「あれっ、何だありゃ?」

見慣れない船が打ち上げられている。

中から、目の青い異人が出てきました。

「○×○×▽▽□!!」

「なんだよくわかんねえこと言ってるなあ」
「何を言ってるんだ?」
「とにかく村長連れてこい」
「そうだ、村長は字が書けるからな!」

こうして村長が出てきて、異人と砂の上に棒っ切れで文字を書いて、筆談となりました。

「あんたら、何者かね?」
「あやしいモノじゃアリマセン。ポルトガルの商人デス」
「はあポルトガル?」

これは手に負えぬと、種子島の領主に連絡します。知らせを受けた種子島領主・種子島時堯(ときたか)は、数十艘の船をもって、この大船を曳航し、赤尾木(あかおぎ)という大きな津まで連れて行きます。

赤尾木にはインテリの禅僧がいるので、この禅僧と、ポルトガル商人の長とおぼしき男と、筆談させます。

「我々はポルトガルから来た商人デース」

「ふむう…はるばる海を越えてきたのですね」

しかし、件の禅僧は、彼ら商人のうち、二人が持っている奇妙な器具に注目しました。

長さ二、三尺。重い筒状のもので、筒の一方は穴が開き、一方は塞がって、その塞がっている根元のほうにはさまざまな器具がついています。

「何ですかそれは?」
「ああ、コレデスカ。日本のオトモダチ、よく見ててクダサイネ」

なにやら先っぽにつめて、筒の底のほうにも何やら粉末をつめて、ガチャガチャ操作しています。そして目を細めて狙いをつけ、引き金を引くと、

パーーーン

「ひ、ひいいいいっ!」

「驚かせてゴメンナサイデス」

「な、何ですかこれは!?」

1543年。以後の世みんな鉄砲を使う。以後の世みんな鉄砲を使う。学校でそう覚えたんじゃないでしょうか?

しかし天文12年(1543)種子島以前に中国製の銃が渡来していたことは確実で、またこれより70年以上昔の応仁の乱の時、鉄砲らしきものが使われた記録があります。よって天文12年に「初めて」鉄砲が伝来したわけではありません。とはいえ、まだ鉄砲が一般に普及していたわけではないので、新鮮な驚きだったことでしょう。また実際、この後普及していく鉄砲は中国製ではなく、種子島に伝来した鉄砲を元にしたものでした。

種子島時堯、鉄砲を研究

種子島時堯(ときたか)はすっかり鉄砲に夢中になります。

「これは素晴らしい!どうか、私に売ってください」
「高いデスヨ」
「金はいくらでも出します!」

こうして種子島時堯(ときたか)はポルトガル人から二挺の鉄砲を買い受け、島の鍛冶職人・篠川小次郎(ささがわこじろう)に命じて火薬の調合方法、成分を徹底的に研究させます。

種子島時堯は朝な夕なに鉄砲をめでて、パーン、パーン、射撃訓練を繰り返しました。最初はなかなか当たらなかったのが、どんどん上達してくる。するとますますやる気になって練習していた。

その内に、自分が撃ってるだけじゃ物足りなくなってきた。もしこれが量産できたらスゴイぞ!世の中の仕組みが変わる!そこで種子島時堯は、鉄砲を量産すべく、種子島の加治屋に命じて、鉄砲の仕組みを調べさせます。しかしどうしても銃身の底を塞ぐ仕組みがわかりません。

「どうしたもんかなあ。もう一歩なんだけどなあ」

翌年。

またもポルトガル商人の船が種子島にやってきます。これ幸いと種子島時堯、問題の銃身の底を塞ぐ仕組みについて質問します。

「オ~それは、ネジというモノ使いマス。こういうのを作って、押し込むんデス」
「あ、なるほど!」

こうして疑問点も解消し、独自に鉄砲を作ることができるようになりました。

「なにしろ戦国の世の中だ。鉄砲を欲しがる大名は、全国にいる!
バンバン売れるぞ!」

鉄砲はまたたく間に普及していきました。

普及する鉄砲

堺・紀州根来(ねごろ。和歌山県)・近江坂田郡の国友村・薩摩(鹿児島県)・豊後(大分県)などが主な生産地となりました。

将軍足利義晴は早くから鉄砲の重要性に目を付け、近江坂田の加治屋に命じて二挺の鉄砲を作らせ、献上させました。

しかし足利義晴の頃は、まだまだ記念品といった意味合いで、実戦で通用するには至っていませんでした。鉄砲が実戦に使えると、最初に目を付けたのが、織田信長です。

「うむ、鉄砲が量産できれば、戦そのものが変わる。鉄砲について、学ばねばなるまい」

天文18年(1549)7月。織田信長は、橋本一巴(はしもといっぱ)に命じて鉄砲製造の技術を学ばせ、また近江坂田の国友村に五百挺の鉄砲を注文しました。

「五百挺!大変な数だ!気合入れて作れ!!」

初めての大量注文で、鉄砲鍛冶たちも興奮したでしょうね!

時に織田信長16歳。種子島に鉄砲が伝来してから6年目のことでした。

火縄銃の撃ち方

筒の先に火薬と弾丸をこめ、木の長い棒(さく杖)で奥まで押し込み、銃底部分にある火蓋を開き、その中にある火皿に口薬を入れます。口薬は点火用の火薬のことです。

そして火蓋を閉じ、火挟みと呼ばれるスタンド状の部分に、火打ち石でさきっぽに火をつけ火縄をはさみます。

銃を構えて、火蓋を開いて標的を狙う。そこで引き金を引くと、

火挟みがパタッと倒れて、火縄の先の火が口薬の上に落ちて、着火。

パァーーーン

一気に弾が放たれる仕組みです。

youtubeに実演動画がありました。とてもわかりやすいですよ!

次回は「キリスト教の伝来(一)」です。

解説:左大臣光永