武田信玄と上杉謙信(九) 第四次川中島合戦

妻女山の煙

9月9日もようよう暮れ、月がほのかにあらわれる頃、上杉政虎は妻女山の上から海津城を見下ろしていました。

「ん…海津城から煙が幾筋も立ち上っている。飯を炊く煙じゃ。
信玄は今夜、攻撃をしかけてくるであろう。甲斐・信濃の軍勢を二手に分け、
一手は今夜、一手は明日攻撃し、挟み撃ちにする策だ
われらは夜討ちの来る前に妻女山を下り、
川中島で敵を迎え撃つ!」

午後11時。上杉軍はひっそりと妻女山を下り、雨宮渡(あめのみやのわたし)から千曲川を越えます。一糸乱れぬ、物音ひとつ立てない行軍でした。

誰も声を立てないように口に木端を咥えさせ、馬の舌を縛り、馬の鼻を布でしばるという徹底ぶりでした。

鞭声粛々夜河を渡る

上杉軍、妻女山を下り雨宮渡を渡る
上杉軍、妻女山を下り雨宮渡を渡る

雨宮の渡
雨宮の渡

江戸時代の儒学者頼山陽の「不知庵機山を撃つの図に題す(川中島)」に歌われているのは、この場面です。

八幡原

九月十日早朝。

別働隊1万2000が妻女山裏手から駆け上り、上杉の陣営に攻撃を仕掛けます。しかし、上杉の陣営はもぬけの空で、誰もいません。

「どうしたことだ」
「まさか…敵はさとっておったか。だとすれば…
御屋形さまが危ない!!」


その頃、

川中島にはもうもうと霧が立ち込めていました。

信玄は床几に座り、8000名の陣立てを指揮していました。

その時、


ひひーーん

霧の向うから、馬のいななきが響きます。

「はて」

武田軍の将兵たちが何事かと目をこらすと…

「ぬおっ!!」

霧の向こうから上杉軍の大軍が姿をあらわしました。

「読まれておったか!!」

わあーーーーーっ

武田軍に一気に襲い掛かる上杉軍。

朝の八幡原は敵味方入り乱れての大激戦の舞台となりました。

この戦いで信玄の弟・信繁や軍師の山本勘助も討たれてしまいます。

信玄 謙信 一騎打ちの伝説

弓矢の戦い、刀剣の戦い、おめき叫ぶ声や鉄砲の音が
山に谷にこだまする中、上杉政虎は、旗本数騎を率いて
武田信玄の本陣へ一直線に駆け寄ります。


「武田信玄ーーー」

ばかかっ、ばかかっ、ばかかっ、ばかかっ、

ぶうんと斬りかかった謙信の太刀を信玄は
ぐおっ、ガチーーン。軍配団扇で受け止め、

続いてぶうん…繰り出された謙信の二の太刀を、がちーーん!
これも信玄は軍配団扇で受け止め、

続いて馬上より流星一閃、
ぶうんと振り下ろされた三太刀目が、

ずばあ。ぐっはあああ。

信玄これを肩にまともに食らい、よろめく。
そこへ、そばに控えていた原大隅守が、

「おのれ上杉謙信。大将に斬りかかるとは無礼な」

傍らなる信玄の槍を手に取り、

ええいと突き出すと、その切っ先は謙信の鎧の肩の上にそれ、
残念なりと返す槍で謙信の鎧の右肩から斜め下に打ち下しますが、
これも掠った程度で、三度目にでやと突き出した槍が
馬の尻にずぶっと突き刺さり、

「ヒヒーーーン」

ばからっ、ばからっ、ばからっ、ばからっ…

馬は一声上げて、逃げ去りました。

馬上、上杉謙信は

「くっ…無念じゃ、武田信玄、
またしても討ち取ることができなかった!」

遺恨十年一剣を磨く
流星光底長蛇を逸す

この十年、謙信はひたすら信玄を討ち取ろうと、
剣を磨いてきたのに

太刀を一閃のもとに切り下したが、謙信は
またも長い蛇…武田信玄を仕留めることができなかった。

江戸時代の儒学者頼山陽の詩
「不識庵、機山を討つの図に題す」…
通称「川中島」に有名です。

もっとも本当に武田信玄と上杉謙信が
一騎打ちをしたかどうかは、何とも言えません。
後世の創作の可能性もあります。

武田の別働隊 到着

午前10時。

千曲川方面から歓声と軍馬のいななきが起こりました。

「あれは…ああっ!別働隊がようやく
合流してくれたか」

別働隊1万2千は妻女山山麓で村上・高梨勢に
苦戦を強いられていましたが、ようやくそれを打ち破り、
千曲川を越え、八幡原に到着したのでした。

一気に形勢は逆転します。

武田勢は北と南から上杉勢を挟撃し、今度は上杉方の
死骸が八幡原を覆うこととなります。

午後4時。

武田軍が川中島全域を制圧。

「仕方あるまい。全軍、善光寺に撤退」

上杉政虎は、撤退を命じるほかありませんでした。

永禄4年(1561年)9月10日、
第四次川中島合戦はこうして終わりました。

死者は双方あわせて7000人とも伝えられます。

謙信は越後に、信玄は甲府に帰還し、これ以後、
両雄が直接戦うことはありませんでした。

解説:左大臣光永