織田信長(九) 天下布武

正親町天皇の勅使

正親町天皇は、信長が美濃平定を終えると信長のもとに勅使を送り、

「信長、よくやった。たいへんな働きだ。
ところで美濃・尾張の朝廷領が荒れ果てている。
これを再興してくれまいか」

さらに、第一皇子誠仁(ことひと)親王(後陽成天皇)の元服料、内裏の修繕費用のことを依頼してきました。信長はこれを受け入れます。

天下布武

またこの頃、「天下布武」の印文(いんもん)がはじめて登場します。印文とは手紙の最後にハンコとして押すものです。

天下布武。

天下を武によって治める。信長はこの頃から天下統一をハッキリ意識し始めたようです。

楽市楽座

岐阜で信長は「楽市楽座」政策も始めました。

それまで市場でモノを売るには、「市座」とか「問屋」と呼ばれる組合に入っていなければだめでした。そしてこうした組合が販売権を独占し、税をまぬがれるなど、さまざまな特権を得ていました。たとえば農民が、今年はいい野菜が取れたとかいって、莚広げて売っていると、てめえ誰に断って商売してやがる。あ、わーーーという話になるわけです。

信長はこれをやめさせて、商工業者に属していなくても誰でも商売をやれることにしました。

「おお!そりゃいいな。じゃあ俺が作った蓑笠も売れるかな」
「私の編んだ草鞋も売るわよ」

この楽市楽座政策により岐阜の城下町は大いに活性化しました。

お市の方

この頃信長は、妹のお市の方を近江の浅井長政に嫁がせます。

「市、織田家のため、いや天下のため、行ってくれ」

「兄上の仰せのままに」

「そう悲痛な顔をするな。近江の浅井長政は誠実な男ときくぞ」

お市と浅井長政の婚約によって、織田家と浅井家は同盟関係となります。

後に、浅井長政とお市の間には茶々・初・江(ごう)の三人の娘が生まれます。

お市自身にも、その娘たちにも、数奇な運命が待ってることはよく知られている通りです。

解説:左大臣光永