織田信長(四) 長良川の合戦

斎藤道三

美濃の斎藤道三。

蝮の道三とあだ名されました。

蝮。

とまで呼ばれるだけの、すさまじい経歴でした。

道三はもと山城国西岡(乙訓郡)の出身で、名を松波何某といいました。いつの頃からか、美濃に出て、長井藤左衛門という主人に仕えましたが、やがて主人を殺して城を乗っ取ろうという野心を起こします。

そこで道三は、

美濃国守護・土岐頼芸(ときよりなり)に協力を要請します。美濃では各勢力がいがみあっていたので、長井藤左衛門を殺せるということは、これ幸いと、土岐頼芸は斎藤道三への協力を約束しました。こうして、主人長井藤左衛門を殺害すると、道三は主人の名を奪って長井新九郎(ながいしんくろう)と名乗りました。

その後、道三は土岐頼芸(ときよりなり)に次郎と八郎の二人の息子がいましたが、この次郎と八郎に取り入ります。まずは次郎に、自分の娘を嫁がせますが、次郎がうまく操れぬと見ると、毒殺してしまいました。

未亡人になった自分の娘を、今度は八郎に押し付けます。

土岐八郎は道三の勢いに押されたのでしょうか。道三に言われるままに、殺された兄の妻を妻として迎えます。

道三は娘婿の八郎を手玉に取って、いいように操ろうとしたので、

「もうやってられない」

八郎は尾張へ逃げ出します。

「逃がすな」

すぐさま道三は後を追わせ、追いつくや、八郎を殺害しました。

二人の息子を殺すと、道三は彼らの父親である土岐頼芸が邪魔になってきました。

天文11年(1542)道三は大桑(おおくわ)城の土岐頼芸を追放しました。家来たちに賄賂を渡し、味方に引き込んだのでした。

「くぬう道三め、こんなメチャクチャ、許されると思うなよ」

土岐頼芸は美濃を去り、尾張に亡命し、信長の父・織田信秀に助けを求めました。

人々は言い合いました。

「ひでえなあ斎藤道三という男は」

「恩を仇で返すとは、あのことだ。今にロクなことにならんぞ」

そこで尾張国では、道のあちこちに何者が書いたともしれない落書が立てられました。

主(しゅう)をきり婿をころすは身のおはり
昔はおさだ今は山城

主人を殺し、婿を殺しすような者は身の(美濃)破滅を招く。
昔でいえば源義朝を殺した長田忠致。今でいえば山城道三だ。

また道三は残虐な処刑を行いました。

人の両手足を縄でしばってその反対側を牛にくくりつけ、

走れッと牛の尻を打つと牛が全力で走り出し、手足がズバと抜ける、牛割きの刑や、

大釜で熱湯を炊いて罪人を焼き殺し、しかも釜を焼かせるのを親兄弟にやらせるといった、残虐ぶりでした。

斎藤義龍の反乱

斎藤道三には長男義龍、次男孫四朗、三男喜平次の三人の息子がありました。道三とともに四人、稲葉山城に住んでいました。

長男義龍はおっとりした感じでした。それを見て道三は「器量無し」と思い、弟二人のほうを可愛がりました。父のその様子を見ていて、弟たちも兄義龍を軽んじるようになりました。しかし義龍がおっとりしているのは見せかけのことで、内心はクソッ今に見ておれと、野心を燃やしていました。

やがて義龍は病と称して自宅に引きこもるようになりました。そんな中、

天文24年(1555)11月、父道三が用事のため稲葉山下の自宅に下りました。すると義龍は、弟二人のもとに使者を遣わして、伝えます。

「もう俺はダメのようだ。命が亡くなってしまう。
最期にもう一度、お前たちに会いたい」

弟二人は、ないがしろにしてきた兄とはいえ、これはさすがに大変だと、義龍の屋敷に出かけて行きます。居間に通されます。料理が出る。おおよく来てくれた。弟二人を歓迎する兄。アッこれは兄上恐縮です。お体はよろしいのですか、などと言っている所に、後ろから

「でや!」

ざんっ、ざんっ

斬り殺されてしまいました。

「ふはは。たわいもないことよ」

義龍はすぐに稲葉山下の自宅にいる父道三のもとに使いを出し、これこれこういうわけで、不届きな弟二人を斬り殺しました。

「ぐぬぬ義龍。さてはノンビリしていたのは演技であったか」

すぐさま道三は手勢を集め、

ぶおっほーーーぶおっほーーーー

ほら貝を吹き鳴らし、

「焼き払え!!」

ごおーーーーーー

稲葉山に火を放ち、稲葉山城をはだか城にしてしまいました。しかし。それ以上攻めることかなわず、長良川を越えてひとまずは撤退していきました。

翌弘治2年(1556)4月。

斎藤道三は鶴山に陣を敷きます。眼下には岐阜の平野が、正面には敵・斎藤義龍がたてこもる稲葉山がうかがえました。道三の婿である信長も尾張から軍勢を従え、木曽川、飛騨川を船で越えて、大良(おおら。岐阜県羽島(はしま)市)に布陣していました。

「それにても息子と戦うことになるとはな…因果なことだ」

4月20日、斎藤義龍の軍勢が稲葉山を下ります。

「来たかッ」

斎藤道三も鶴山を下り、長良川の手前まで軍勢を動かします。

わあーーーっ、わあーーーーっ

長良川の両岸から響き合う鬨の声!

まず義龍の陣から長屋甚衛門が、ついで道三方から柴田角内が、それぞれ進み出て渡り合い、

キン、カン、キキン。どたーーっ

道三方柴田角内は、義龍方長屋甚衛門を組み伏せ、首かっ切りました。

「かかれーーっ」
「攻めろーーーーっ」

その後は双方入り乱れ、火花を散らして戦います。鎬を削り、鍔を割り、そこかしこで思い思いに勝負をする中、義龍方・長井忠左衛門が、

「そこなるは斎藤道三と見た。観念せよ」

「ぬ。小癪な」

道三は太刀を振り上げ、振り下ろしたその太刀を長井忠左衛門は押し上げて、斎藤道三にむずと組み、生け捕りしようとしている所へ、

荒武者の小牧源太が駆け寄り、道三の脛を薙ぎ払い、どたーーっと倒れた所へ組み伏せて、ついに道三の首を取りました。

長井忠左衛門は生け捕りしようとしていた所に小牧源太に手柄を横取りされて、無念ながら、

「せめて証拠に」

道三の鼻をそいで、持っていきました。

戦い終わって。

斎藤義龍が首実検している所へ、鼻をそがれた父道三の首が届けられました。

「ああ…」

父の無惨な姿を目の当たりにして、さすがに義龍も感じ入りました。

「親を殺すはめになったのも身から出た錆。何ということだ…だが今は信長を追撃するのだ」

信長のいる大良(おおら)の陣にも、知らせは届いていました。

「道三が討たれた!?…こうしてはおれぬ」

信長はすぐさま軍勢をまとめ、自らが殿をつとめて、尾張に帰還させます。しかし尾張では、同族の織田信安が斎藤義龍と組んで信長に敵対行動を取るようになりました。また信長の腹違いの兄・信広も斎藤義龍と同盟して信長に敵対します。信長は苦しい立場に立たされます。

解説:左大臣光永