徳川家康(二十六) 武家諸法度・禁中並公家諸法度

武家諸法度・禁中並公家諸法度

大阪夏の陣で豊臣を滅ぼした二ヶ月後の7月7日。家康はかねてから作成を続けていた法令を発布します。

13条から成る、武家諸法度です。

諸大名の守るべき規範を定めたものです。北条泰時の御成敗式目や、足利尊氏の建武式目、武田信玄の定めた武家法を参考に作られました。

条文の中でことに重要なのは、新しい城を築くことを禁止して、一国一城が定められたこと。私に婚姻を結ぶことを禁じたことなどです。

江戸幕府による諸大名への締め付け強化がはかられています。お前ら、勝手なことしちゃイカンぞというわけです。

ただし参勤交代は、寛永12年(1635)三代将軍家光の時に本格的に定められた制度です。武家諸法度の中では参勤交代についてはごく簡単に書いてあるだけです。

ついで7月17日、公家や朝廷が守るべき規範を定めた禁中並公家諸法度(きんちゅうならびに くげしょはっと)を発布。

こらちは、天皇・公家・朝廷が守るべき規範を定めた法度で17条からなります。第一条は「天子諸芸能之事、第一御学問也」天皇は学問だけやってろ。政治には首つっこむなという話です。天皇の役割について、文章で定めたのはこの禁中並公家諸法度が初めてです。

しかもそれを武家である徳川幕府が定めた。何様かって感じですが、もちろん朝廷にはこれに逆らうほどの力は残っていませんでした。江戸時代は日本の歴史を通して、もっとも朝廷が力を失った時期だと言えます。その象徴としての禁中並公家諸法度でした。

さらに7月24日、寺院や僧侶の規範を定めた諸宗寺院法度(しょしゅうじいんはっと)を発布しました。

解説:左大臣光永