奥州藤原氏(五)三代秀衡(二)

こんにちは。左大臣光永です。強烈な台風が日本を襲ってますが、お住まいの地域では大丈夫でしょうか?

私は先日、埼玉の武蔵嵐山に取材に行ったんですが、自動販売機が、無いんですよ!!何キロ歩いても、まったく無いので困りました。カアッと照り付ける日差しに喉がカラカラでした。東京の感覚で、数百メートルごとに自動販売機があるくらいの考えで行ったらダメですね。しっかり駅前で水を買い込んでいかないと。と実感しました。

さて

先日再発売しました『おくのほそ道』現代語訳つき朗読cd-rom
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というわけで、松尾芭蕉『おくのほそ道』に関連して、奥州藤原氏の話をお届けします。芭蕉が平泉中尊寺でしみじみと涙を流している、奥州藤原氏、清衡・基衡・秀衡の「三代の栄耀」についての、お話です。

本日は第四回「三代秀衡(二)」です。前回までの内容も、あわせてお聴きください。

▼音声が再生されます▼

http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/OusyuFujiwara3_1.mp3

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平家滅亡と外交権のはく奪

鎮守府将軍となり陸奥守となっても秀衡は平家に味方しませんでした。平泉にどっしり腰をおろし、動きませんでした。祖父清衡と父基衡が守り抜いてきた100年来の平和を守る。それが秀衡の一番の考えでした。

元暦2年(1185年)3月。平家一門は壇ノ浦に滅びます。

翌文治2年(1186年)頼朝は、秀衡のもとに書状を送ってきました。

「御館(みたち)は奥六郡の主、私は東海道の惣官です。
まったく魚が水を得た思いです。ただし奥州は京都に遠いですから、
連絡が大変です。また、あなたがなさる貢馬・貢金(こがね)は、国への貢物です。
これを管理しているのは私です。これより私がお取次いたしましょう。
それが勅諚を守ることになります」

つまり、朝廷とのやり取りは以後鎌倉が取り次ぐ。奥州と朝廷が直接やりとりする外交権は、認めないという内容でした。

「くっ…頼朝めえッ…」

秀衡は歯噛みしたかもしれませんが…頼朝の武力の前には逆らえず、条件を飲むほかありませんでした。

「このまま平泉に引きこもって、平和の内に独立を固める道もある…
とにかく、奥州を戦火のちまたにすることは、できぬ」

それが、為政者としての秀衡の、首尾一貫した姿勢でした。

義経の奥州入り

翌文治3年(1187年)兄頼朝と対立した義経が、秀衡をたよって奥州に逃げ延びてきます。義経は若い頃、鞍馬山を出て、一時奥州に身を隠していました。だから秀衡と義経は旧知の間柄…というより、義経にとって秀衡は、実の父がわりといっていい存在でした。

「九郎殿…立派になられた…」
「御館(みたち)さま…」

義経が兄頼朝を助けるため、さっそうと奥州を旅立つのを見送ったのが、秀衡の胸に、昨日のように思い出されました。しかし、今や状況はまったく変わってしまいました。

「なに!奥州に義経がかくまわれている?」

義経の奥州潜伏は、すぐに頼朝の知るところとなります。

「義経を差し出せ」

頼朝は要求してきますが、秀衡は「異心無し」と返事するだけでした。

「秀衡は院宣を軽んじています」

頼朝は後白河法皇にうったえますが、後白河法皇は義経をお気に入りでした。そうか…うむ、うむ。のらりくらりとはぐらかし、義経追討の院宣を下しはしませんでした。

秀衡の最期

同年10月、秀衡は伽羅御所で病の床につきました。息も絶え絶えな中、義経と二人の息子泰衡・国衡を枕辺に呼び、三人に起請文を書かせました。私が死んだら、鎌倉から義経殿を引き渡せと言ってくるだろう。けして、従ってはならんぞと。

「父上…」
「御館さま!!」

こうして、北方の王者藤原秀衡は逝去しました。その遺体は、金色堂の右側の須弥壇の下に、祖父清衡・父基衡の遺体とならんで安置されました。

秀衡の心を尽くした遺言。しかし、結局は、守られませんでした。

秀衡の跡を継いだ息子の泰衡は、父にはるかに及ばず凡庸で愚かな人物でした。鎌倉からの再三の義経の身柄引き渡し要求に屈し、文治五年(1189年)閏4月30日、ついに義経の居城を襲撃します。襲撃を受けて義経はお堂の中で自害しました。

義経の首は塩漬けにして鎌倉へ送られます。しかし、頼朝は泰衡を許しませんでした。むしろ反逆者義経をかくまったことにより、文治五年(1189年)7月強引に奥州征伐を決行。

泰衡は部下に討ち取られ、平泉は陥落。源頼朝は、祖先源義家以来の河内源氏と奥州藤原氏の確執に、終止符を打ちました。奥州藤原氏四代100年の歴史はここに幕を下ろしました。

奥州藤原氏 おぼえ方

奥州藤原氏のおぼえ方です。

キモヒヤス。

キ  清衡
モ  基衡
ヒ  秀衡
ヤス 康衡

キモヒヤス。
奥州藤原氏四代。
と覚えてください。

明日は「三代 秀衡(二)」です。お楽しみに。

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解説:左大臣光永

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