奥州藤原氏(一) 初代清衡

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こんにちは。左大臣光永です。うだるような暑さが続きますが、いかがお過ごしでしょうか?

私は本日練馬で『シン・ゴジラ』を観てきました。いや~素晴らしかったです!特に、危機対処にあたる政府官僚たちがですね。いかにもという空気が伝わってきました。いかにも官僚っぽい喋りと空気。ああ、官僚ってこういう喋り方するよなァというのが、実際の官僚はどうか知らんですが。

東北震災の時の菅直人を彷彿とさせるバカ総理も実にいい味を出してました。ゴジラはむしろどうでもよく、人間模様にこそ見所があると思いました。

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というわけで、松尾芭蕉『おくのほそ道』に関連して、これから四日間。奥州藤原氏の話をお届けします。芭蕉が平泉中尊寺でしみじみと涙を流している、奥州藤原氏、清衡・基衡・秀衡の「三代の栄耀」についての、お話です。

本日は第一回「初代清衡(一)」です。

前九年合戦

奥州藤原氏の祖となった藤原清衡。その父藤原経清は俵藤太秀郷につながる血筋といわれ、陸奥権守と記録されています。本人か父の代に、陸奥に赴任してきたものと思われます。都での政争に敗れて流れてきたのかもしれませんが、詳しいことはわかりません。

藤原経清は安倍氏の女性と結婚して男子が生まれました。これが藤原清衡です。時に天喜4年(1056年)。清衡誕生のこの年に、陸奥守源頼義と、阿部頼時の間で争いが始まります。前九年の役(1051~1062)です。

安倍氏 系図
安倍氏 系図

この戦いで藤原経清は最初、源頼義側についていましたが、妻が阿部氏であることから裏切りを疑われます。藤原経清は思います。

「俺はマジメにやってるのに。義頼様は疑わしいだけで罰するのか…。やってられない。だったら、本当に背いてやる」/p>

こうして藤原経清は、阿部氏の側に走りました。/p>

天喜5年(1057年)黄海(きのみ)の戦いでは安倍氏は源氏に圧勝。また安倍氏は源氏の勢力圏奥深く入り込んで人民から税を巻き上げました。この戦いの間、藤原経清は阿部氏の指揮官として、その一翼をにないます。

前九年合戦・後三年合戦 関係地図
前九年合戦・後三年合戦 関係地図

「おのれ藤原経清…あやつが裏切ったせいで!許しがたい!」

怒りをたぎらせる陸奥守・源頼義。

安倍氏に藤原経清が味方したことで、戦いは終始、阿部氏有利に進みました。そこで、源頼義は出羽の豪族清原氏に協力を要請します。

「わかりました。共に阿部氏を討つため力をあわせましょう」

清原氏が受け入れて源氏に味方すると形勢は一気に逆転。阿部氏は追い詰められていきます。

有名なエピソードがあります。乱戦のさなか、衣川の柵にて、源頼義の息子・源義家はついに阿倍貞任(阿部頼時の息子)を追い詰め、ビタリ矢の狙いを定めると、

「衣の柵はほころびにけり」

すると阿倍貞任は振り返って、

「年を経し糸の乱れの苦しさに」

ばかかっばかかっばかかっばかかっ

言い捨てて、走り去っていきます。

「ああっ、義家さま、はやく阿倍貞任を負いませんと!」
「いや待て!この乱戦のさなか、歌を詠み返すとは、敵ながら風流!阿倍貞任、今日の所は見逃してやる!」

康平5年(1062年)安倍氏は厨川の柵に籠城しますが、柵の内側に入り込んだ間者により火を放たれ、柵は炎上。安倍貞任は殺され、藤原経清は生け捕りとなりました。

「藤原経清、お前の裏切りのせいで我々はさんざ苦労したのだ。許しがたい!」
「ふん、殺すなら殺せ!」
「おう、殺してやる。だができるだけ苦しめてな」

そこで頼義は部下に命じてさびた刀を持ってこさせ、ゴリゴリ、ギリギリ、わざと時間をかけて経清の首をゆっくり切り落としました。

さて戦後、未亡人となった藤原経清の妻は、清原氏と再婚しました。息子の清衡は藤原清衡あらため清原清衡となります。また清原氏はこの時前の妻との間にできた長男・真衡(さねひら)がいました。ついで清原氏と藤原経清の未亡人との間に男子が生まれます。家衡です。

後三年合戦

時は流れます。

清原氏の養子となった清衡でしたが、清原家における清衡の扱いは悪いものではありませんでした。

若君、なんなりとお命じください。若君、何か不自由はございませんか。しかし…外からきた私がそんな、図々しいことは言えぬ。何をおっしゃいますか!若君には何の遠慮がいりましょうか。

などと、家臣たちにかしづかれ、とても大切に育てられました。

出羽一国にしか拠点が無い清原氏にとって、陸奥に勢力をのばすには、阿部氏の血を引く清衡の存在が、大義名分になったためです。そのため、清原氏内部で清衡はたいへん大切に扱われました。

若き日の清衡は江刺郡の豊田館(とよだのたち)(岩手県奥州市江崎区)を拠点として、奥六郡の統治を任されていたようです。

さて清原氏には三人息子がありました。長男が前妻との間に生まれた真衡。次男が藤原経清の未亡人の連れ子である清衡。三男が再婚後に生まれた家衡です。ややこしいので系図をよく御覧ください。長男真衡と次男清衡は父も母も違い、次男清衡と三男家衡は母が同じで父が違います。複雑な三兄弟です。

清原氏
清原氏

まず、長男の真衡が家督を継ぎ清原の家長となりました。しかし、次第に真衡は横暴なふるまいが目立ち始めたようです。他の兄弟や家人たちを見下す様子もあったようなことが記録されています。

また、息子のいなかった真衡は、成衡という養子を迎えましたが、成衡は平氏につらなる血筋の者でした。さらに、成衡の妻として、陸奥守源頼義の娘を迎えることとなりました。

これでは清原氏は、将来的に清原氏と何の関係もない、源氏と平氏の血だけが残ることになる!そんなことは認められぬ!

出羽の有力者たちが不満をたぎらせ、ついに挙兵します。

長男真衡の館の留守を狙って、次男清衡・三男家衡がその館に攻め込みました。後三年合戦(1083-87)の始まりです。

後三年合戦 第一段階
後三年合戦 第一段階

同じ頃、源義家が陸奥の守として陸奥に赴任しました。館を襲われた真衡は義家に近づき、援軍を要請。義家はこれを受け、義家・真衡連合軍と、清衡・家衡連合軍との争いになろうとした、その時、

突如、真衡は病に倒れたのでした。清衡も家衡も、武勇のほまれ高い八幡太郎義家に逆らうは不利と、降伏してきます。

「よしよし、もう争うでないぞ」

義家は、清衡と家衡に奥六郡を半分ずつ分割統治するよう裁定を下しました。これで万事解決。とは、なりませんでした。

すぐに家衡が不満をたぎらせます。奥六郡は私だけのもりだ。はんぶんこなんて認められぬ!それっ!女子供も皆殺しにしろ!!

家衡は清衡の館に攻め込みます。命からがら逃げ出した清衡は、源義家に保護を求めます。

「なんたること。女子供まで殺すとは許せぬ。
これより八幡太郎義家は、清原清衡殿にお味方いたす」

こうして源義家・清原清衡連合軍と、清原家衡の戦いとなっていきます。

後三年合戦 第二段階
後三年合戦 第二段階

次回「奥州藤原氏(二)初代清衡(二)」に続きます。お楽しみに。

奥州藤原氏 おぼえ方

奥州藤原氏のおぼえ方です。

キモヒヤス。

キ  清衡
モ  基衡
ヒ  秀衡
ヤス 康衡

キモヒヤス。
奥州藤原氏四代。
と覚えてください。

明日は「初代清衡(二)」です。お楽しみに。

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解説:左大臣光永

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