大海人皇子の吉野降り

大友皇子を太政大臣に

さて天智天皇は即位と同時に弟の大海人皇子を
皇太子にしましたが、やはり息子大友皇子がかわいいという
気持ちがあったのか…

671年、天智天皇は大友皇子を太政大臣に任じます。
太政大臣といえは律令制における最高位で、
皇太子もしのぐほどの権力がありました。

大海人皇子と大友皇子
【大海人皇子と大友皇子】

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しかし大友皇子は母方の身分が低く、
その点が次期天皇になるには障害でした。

しかし天智天皇は左右の大臣に
親大友皇子派の者を任じ、大友皇子の周りを固めます。

大海人皇子は事実上、後継者候補から
はずされてしまった形となりました。

「あなた、私は悔しいです。
こんなふうに、のけ者にされてしまって。
ミカドのなさりようのロコツで、いやらしいこと」

「いいじゃないか讃良。俺は権力争いなんてごめんだ。
むしろ外されて、せいせいした。それにな讃良、
何があっても父親のことを、そんなふうに言うもんじゃないぞ」

ご夫婦の間でそんなやり取りがあったかもしれませんね。

病の床の天智天皇

その時の秋、天智天皇は病気になられ、
病の床に弟・大海人皇子を召し出します。

これから出発しようという段になって、
天智天皇の家臣の一人が大海人皇子を呼び止めて言います。

「気を付けてください。ミカドはあなたに天皇の位を譲ると言うでしょう。
ぜったいに受けてはいけません。受けたらが最後、謀反人として捕えられます」

「わかった…」

病の床で天智天皇は、弟大海人皇子の手を
弱弱しく握り、おっしゃいます。

「俺はもうダメだ。後のことはお前に託したい。受けてくれるか」

弟大海人皇子はヒヤリとして、
危ない、危ない、ここで受けたら最後だと、

「私ごときが、そんな、とてもできません。
次の天皇にはお妃の倭姫王さまをお任じください。
私は出家して僧となり、ミカドの行く末のために祈ろうと思います」

「そうか…それならば仕方無いな」

大海人皇子はその場で髪をそり、袈裟に着替えて
吉野へ下りました。

袈裟姿になった大海人皇子を、
左大臣右大臣以下の人びとが見送ります。

大津を出て、宇治橋のたもとまで見送ります。
吉野へ降る大海人皇子の背中を見ながら、ある者が
つぶやきました。

「虎に翼をつけて、野に放ったようなものだ」

大海人皇子、吉野へ
【大海人皇子、吉野へ】

同671年の冬、天智天皇は享年46で崩御しました。

≫次の章「壬申の乱」

解説:左大臣光永

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