「悪御所」 足利義教

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室町幕府六代将軍・足利義教は父である三代義満と並び、足利将軍家の権力強化にきわめて大きな働きをなしました。

有力な守護大名の家督相続に積極的に介入し、足利将軍家に有利な者に家督を継がせたり、
長年対立関係にあった鎌倉公方足利持氏を討伐したり(永享の乱)。

義教の政治手腕は、歴代の将軍の中でも高く評価されています。しかしその一方、義教の性格には大きな問題がありました。

義教は陰湿で、残忍で、非常な癇癪持ちだったと伝えられ「悪御所」の異名を取りました。

「悪御所」足利義教 その所業

ある時、義教は侍女に酒の相手をさせていました。

「そなた、ほんに美しいのう。そなたのような美しい女子に酌をさせるなど。将軍名利に尽きるというものよ」

「そんな殿、大げさですわ、ささ一献」

「ん…むむむ…とっとっと…!と!」

「ああっ!殿、まあまあ…大丈夫でございますか?」

「お前、酒をこぼしたな」

「つい粗相を…お許しくださいませ!…そんな怖い顔なさらないで。
私と殿の仲ではございませんか」

ブチッ、

「この下司がああああああぁぁぁぁぁぁ!!」

ドガシャーーン。

「きゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「下司風情が、わしと何の仲だというのか!身の程をわきまえーーーーーーい!これはな、わが母より賜りし、大切な御衣ぞ!お前ごとき下司が、一生かけてもつぐなえるものではないッ!…誰か、誰かある!」

「殿、何事でございますか」

「この女を御所から追放し、尼にしてしまえ!!」

「あ、あれーーーっ御無体なぁ!!」

そんなことがあったのでした。

またある時、東坊城益長(ひがしぼうじょうますなが)という者が参内した時、ちょっと笑いました。それを見て義教は、

「お前、今、世のことを笑ったな!」

「そ、そんな、誤解でございます」

「将軍を笑うとは許しがたい!!領土没収!国元蟄居!」

「え、えええ~~ッ!!」

そんなことも、あったのでした。

またある時、義教が牛車に乗って道を進んでいくと、

「む?なんじゃあの行列は?」

「はて、何でございましょう」

従者に見にやらせたところ、闘鶏をやっていて、おおぜいの見物人が列をなしているのでした。

「闘鶏!!そのようなくだらんことのために将軍の車を邪魔するとは許しがたい!そもそも、ニワトリなどという下等な禽獣を洛中に入れるからいかんのじゃ!!」

義教は即刻、闘鶏を禁止し、京都中の鶏をぜんぶ洛外に追放してしまいました。今ならパチンコなんかアッという間に規制しそうですね。それはむしろ、全力で応援したいですが。

ある時、延暦寺の僧徒が義教と対立して、義教に抗議するため根本中堂に火を放ち24名が焼身自殺するという事件がありました。義教はその件について、徹底したかん口令をしきました。

「おい、聞いたか。将軍さまが比叡山を焼き討ちしたってよ」
「ええっ、本当かい」

などと話している庶民がいると、

「そこ!何を話している!」「あ、いや、私どもは別に」「来い!」「あっ、そんな、引っ張らないで!あ、あああーーーっ」

ずばっ。

容赦なく切り殺しました。

また、ある武将が義教に珍しい梅の枝を献上したことがありました。その運搬中、ポキンと枝が折れます。ああっ、えらいことになった。どうしよう。どうしようったって、折れたものは仕方ない。

恐る恐る報告した植木職人三人を、義教はなにぃ枝を折るとはけしからんと投獄しました。さらに献上した武士の部下五人も処罰しました。そのうち三人は逃亡し、二人は自殺しました。これでは危なっかしくて誰も何も献上できないですね。

義教が伊勢神宮に参宮した時のこと。「まずい!」ドンガラガッチャーーーン。料理のまずさに腹を立てた義教は、料理人として随行していた武士を京都に追い返します。

後日、その者が恐る恐る出仕したところ、お、お前何をしておる。どのツラ下げて出仕した!!ええい胸糞悪い。この者の首をはねい!!とうとう首をはねてしまいました。

日蓮宗の僧・日朝は、祖師日蓮が北条時頼に『立正安国論』を献上した例にならい、『立正治国論』をあらわし足利義教に献上しました。義教の悪政をいさめようとしたのです。

しかし、足利義教は、これをまったく聞き入れませんでした。

「生意気な!日親をひッ捕えろ!!」

日親を捕え、烈しい拷問を加えます。それでも屈しない日親に、ついに頭にきた足利義教は、熱く焼けた鍋を頭にかぶらせます。

「ぐおおおぉぉぉぉーー南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経!!」

それでも、お題目を唱え続ける日親。信念の人・日親。ために、日朝は、「鍋かむり日親」と呼ばれるようになります。

「悪御所」義教によって処罰された人は、あらゆる階層に及びました。記録には公卿59名・神官3名・僧侶11名・女房7名とあります。この記録には武士や庶民は含みませんので、実際にはそれよりはるかに多く処罰されたでしょう。

伏見宮貞成親王(ふしみのみやさだふさしんのう)の日記『看聞日記(かんもんにっき)』には「万人恐怖」と、足利義教の時代のことが、そう記されています。

近日発売

聴いて・わかる。日本の歴史~南北朝の動乱と室町幕府

後醍醐天皇の建武の新政から、足利尊氏の幕府創設、三代義満、六代義教を経て、八代義政の時代、応仁の乱の直前までを語ります。

南北朝や室町というと「複雑すぎる」「ややこしい」と敬遠されがちな時代です。続く戦国時代が、ドラマに小説に、大人気なのとは対照的です。

しかし、織田信長や徳川家康がどんな背景の中にあらわれてきたのか?それを知るためには南北朝や室町の知識が大いに助けとなります。「戦国時代」というものがポンと孤立して存在しているわけではなく、その前の南北朝・室町との連続で考える。

それでこそ、戦国時代の理解も深まり、大河ドラマもいっそう面白くなるでしょう。

また日本人のアイデンティティーともいうべき、天皇家。皇室の問題を考える時、南北朝時代は避けては通れません。皇室の危機が叫ばれて久しいですが、

女性天皇と女系天皇はどう違うのか?どうして皇室典範は譲位を認めていないのか?今日まで連綿と続く天皇家の歴史を考える上で、南北朝時代の知識は大いに必要であり手助けとなります。

というわけで、

聴いて・わかる。日本の歴史~南北朝の動乱と室町幕府

近日発売予定です。お楽しみに。

次回「嘉吉の乱」に続きます。

解説:左大臣光永

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