冠位十二階と憲法十七条

「みなさん!今日は大切なお知らせがあります」

がやがや…
「何が始まるんだ?」「さあ…」

603年12月5日、聖徳太子と大臣蘇我馬子が、役人たちを小墾田宮(おわりだのみや 奈良県明日香村)に召集します。

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役人たちが沸き立つ中、聖徳太子は、よく通る声で話し始めます。

「この国をよりよくするためにはどうしたらいいか?
私たちは考えました」

「私と、大君(推古天皇)と蘇我の大臣とで、
考えました!」

「そこで、私たちは意見の一致を見たのです!
今まで制度の、何がいけなかったのか、という点において!」

ざわざわ…

「親が偉ければ子も偉い。親が貧しければ子も貧しい。
それでいいんでしょうか?
不公平だと思いませんか?ね、そこのあなた!
そうそう、あなた、どう思います?」

「え、まあ、そりゃあ…」
「しかし太子さま、われわれ貧乏人にはどうにもなりませんよ」

「ごもっともです。貧乏人の子は貧乏人。
努力してもしょうがない。これは残念ながら、事実でした」

「昨日までは!」

ざわざわっ…

「私は今日、新しい制度を提案したい!
みなさんに、提案したい!
身分や家柄に関係なく、手柄を立てたり
能力のある人は出世できる新しい官位制度を!!」

「徳・仁・礼・信・義・智。
それぞれを大小に分け、ぜんぶで十二階の官位。名付けて…」



「冠位十二階」

「そして、各階ごとに冠を授け、一目でわかるようにします」

冠位十二階
【冠位十二階】

「へーえ、じゃあ遠くからでも冠の色を見ればわかるなあ」
「そりゃあ、わかりやすい」

「遠くから偉いのが近づいてきたら、へへーって頭下げりゃいいし、
下っ端がきたら、こっちがふんぞり返ってりゃいいんだ」

「それよりも、頑張り次第で出世できるってのが張り合いあるよ」
「よし、俺は頂点に立ってやるぜ!」

その場に並み居る役人たちは、大いに盛り上がっていました。

「馬子殿、うまくいきますかね」

「皇子さま、我々の手で、うまくいかせるのです」

憲法十七条

翌604年4月3日、聖徳太子が斑鳩宮に役人たちを招集しました。

がやがや…
「今度は何だろう?」

役人たちが沸き立つ中、歩み出た聖徳太子は、よく通る声で話し始めます。

「みなさん!今日は大切なお知らせがあります」

「またかよ…」

「この国をよりよくするためにはどうしたらいいか?
私たちは考えました」

「太子もヒマだなあ…」

「細かい規則や決まり事も必要でしょう。しかし!
それらの大元となる、心構えを文章として記しておく必要がある。
私はそう考えるのです。これを憲法といいます。」

「憲法…?」

がやがや…

「一つ、和をもって貴しとなせ」

「喧嘩するなってことか…」
「仲良くすりゃいいんだろう」

「二つ、篤く三法を敬え」

「仏教を重んじろってことですね」
「太子は仏教に熱心ですからなあ」

「三つ、大君の詔(みことのり)を受けたら必ず従いなさい」

「九つ、何事も真心で」

「十二、人民から搾取してはならない」

「十七、物事は一人で判断せず、みんなで話し合って決めよう」

このように、役人たちの前で全十七条が読み上げられました。憲法十七条。十七条の憲法。わが国最初の成文法です。

現在の憲法とは違い、役人や豪族が守るべき心構えを示したものです。儒教や仏教の影響が強く見られます。

ただし後世の創作という説や聖徳太子がつくったのでは無いという説も多く、今後の研究が待たれるところです。

つづき 蘇我氏の専横

解説:左大臣光永

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