源実朝と『金槐和歌集』

建暦3年(1213年)金槐和歌集が完成します。勅撰和歌集にならって、将軍実朝みずから選び、編集した和歌集です。時に実朝22歳。8年来の和歌修行の集大成といえました。

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この8年の間、実朝は『万葉集』を学び『新古今集』を学び、藤原定家から指導を受け…もっとも定家と実朝が直接会うことは生涯ありませんでしたが、飛鳥井雅経や鴨長明といった歌人との交流もあり、歌人としての実朝の感性にはますます磨きがかかっていました。その集大成といえるのが『金槐和歌集』です。

山は裂け 海は浅せなむ 世なりとも
君にふた心 わがあらめやも

和田合戦後、和田の残党が多く京都に逃げこみました。彼らは京都で何事か騒ぎを起こすかもしれませんでした。たとえば後鳥羽上皇を殺害するなど、テロを行う可能性もあったのです。

実朝としては早急に後鳥羽上皇に、誓って二心ありません。わが君にそむくつもりはありませんと表明する必要がありました。そんな切羽つまった状況も思い浮かぶ歌です。

また、和田合戦直後の建暦三年5月21日昼、実際に鎌倉で大きな地震が起こっています。まさに「山は裂け、海は浅せなむ世」になったのです。それでも、私は上皇さまにそむきません。実朝の必死の意思表明が、この歌にはこもっているようです。

ある年の正月。

実朝は臣下とともに、二所詣のために箱根峠を越えていました。二所詣とは毎年正月に将軍が恒例行事として伊豆山権現と箱根権現に参詣することです。

うっそうとした山道が続き、山から出ると、ぱあっと視界が開けて、真っ青な海には小島が浮かんでいました。

「おお…すばらしい。これ、この海の名を知っているか」

「鎌倉殿、これぞ、伊豆の海です」

「ほう、箱根路をいずると、そこが伊豆の海とは、なかなか興のあることじゃ」

そこで実朝、詠みました。

箱根路を 我が超えくれば 伊豆の海や
沖の小島に 波の寄る見ゆ

詞書を含む原文は、このようになっています。

箱根の山をうち出でてみれば、波の寄る小島あり。「共の者、この海の名は知るや」と尋ねしかば、「伊豆の海となむ申す」とこたへ侍りしを聞きて、

箱根路を 我が超えくれば 伊豆の海や
沖の小島に 波の寄る見ゆ

箱根十国峠には、この実朝の歌の歌碑が立っています。

またの年、二所へ参りたりし時、箱根の御海を見てよみ侍る歌

たまくしげ 箱根のみうみ けけれあれや
二国かけて なかにたゆたふ

「たまくしげ」は「箱根」にかかる枕詞。「みうみ」は「水の海」で湖。芦野湖のこと。「けけれ」は東国の方言で心のこと。「二国」は相模と駿河。

箱根の芦ノ湖には心があるのだろうか。相模・駿河の二国にまたがって、その間でゆれ動いている。

幕府と朝廷の板挟みになっている実朝の心を暗示しているとも、源氏と北条氏の板挟みになっている実朝の心とも、あるいは単に雄大な景色を詠んだ歌ともいわれ、解釈が分かれます。

時により すぐれば民の なげきなり
八大竜王 あめやめ給へ

時によっては雨も民の嘆きとなります。
雨をつかさどる八大竜王よ、雨を止めてください。

建保元年(1213年)12月19日。雪が降りました。

実朝は心躍らせます。

「雪の中、山荘の風情はよかろうのう」

実朝は二階堂行平の館へ赴きます。

「鎌倉殿、いらっしゃるなら前もっておっしゃってくださればよかったのに」
「なに、この雪じゃ。山荘の風情を楽しもうと思ったのよ」
「よいですなあ。すぐに酒宴の用意をさせます」

その日は和歌・管弦の遊びをして、大いに盛り上がりました。
夜になって実朝は帰ってきます。二階堂行平は黒い駿馬を
実朝に献上しました。

よく見ると、馬のたてがみに紙がくくりつけてあります。

そこに書かれていた歌は、

この雪を わけて心の 君にあれば
主(ぬし)知る駒の ためしをぞひく

「主知る馬のためし」とは、『韓非子』にある故事です。

昔、斉の桓公が他国に遠征した際、出発した時は春だったが
戦が終わると冬になっていました。

そのため雪で道に迷ってしまいましたが、こんな時は
老いた馬の知恵に頼ろうということで、老いた馬を放ち、
馬の歩くままに跡をつけて、自国に戻ることができた、
という話です。

つまり、この雪をかきわけて私の館にいらっしゃるほど
心優しい実朝さまですから、この馬を放つと、
韓非子の故事のように、馬は勝手に歩いていって、
あなたの元に行き着くでしょう、といっているのです。
だいぶ、主君を持ち上げてますね。

実朝は何度が吟詠して、「さすが行平の行いは優美である」

感心して自ら筆を取り、

主(ぬし)しれと 引(ひき)ける駒(こま)の
雪を分ば 賢き跡に かへれとぞ思ふ

あなたが主人の所へ行きなさいと言って私のところまで引いてきてくれたこの馬。こんなに賢い馬なのだから、賢くもとの主人のもとにお帰りなさいと思います。

そう記してこの歌を使者に託し、二階堂行平に届けさせました。

政務の合間には、実朝はこのような風流を楽しんでいたのです。

次の章「源実朝の船

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本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。

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解説:左大臣光永