富士の巻狩

巻狩

健久四年(1193年)5月。
源頼朝は多くの御家人を率いて、
富士の裾野で一ヶ月にわたり大規模な巻狩を行いました。

巻狩とは囲いを作ってその囲いをじょじょに狭めていって
獲物を追い込む狩のことです。

先年、頼朝は朝廷から征夷大将軍に任じられていました。
今回の巻狩は、そのことを天下に広く示す、政治的な
デモンストレーションの意味がありました。

また、長男の頼家を、御家人たちの前で
後継者として示す、お披露目の意味もありました。
時に頼家12歳です。

はっきりと数は記録されていませんが、
多くの御家人が参加した、とても大規模な狩でした。

「よいか。頼家。よく狙え」
「父上、ご心配なく。私とて源氏の嫡男ですよ」
「こやつ、言うようになったわ」

そのようなやり取りをする頼朝・頼家父子のはるか向こうでは、
御家人の愛甲季隆(あいこうすえたか)らがじりじりと
獲物ににじり寄っていました。

愛甲季隆がざっと一歩踏み込んだその時、

トタッ、トタタッ、トタタッ。

駆け出す鹿。

「若殿、今です!」

頼家はきりきりきりきりきりと
弓を引き絞り、

ひょうと放ったその矢が、ふつーーっと鹿につきささり、
どさーと倒れました。

「父上、やりました」

「おお、おうおう、でかしたぞ頼家」

「若殿、お見事です」
「さすがは若殿」

頼朝・頼家以下、御家人たちいっせいに、
わあっと喜びの声を上げます。

「鎌倉殿、さっそく御台所さまに
ご連絡いたしましょう」

「おう、おうおう、そうじゃのう。
政子も頼家の初手柄とあっては、
さぞ喜ぶであろう。
景高、ご苦労じゃが、鎌倉まで行ってくれるか」

「ははっ」

頼朝は、梶原景時の次男、梶原景高に、
鎌倉への使いを命じます。

ぱかかっ、ぱかかっ、ぱかかっ、ぱかかっ

富士の裾野から鎌倉へ向けて
馬を飛ばす梶原景高。

鎌倉の館で報告を受けた北条政子は、

「武家の嫡男が鹿や鳥を射るなど、当たり前です。
そのようなこと、いちいち報告しなくてもよいっ!」

そう言って叱り付けたと伝えられます。

その夜、狩の成果を山の神に感謝する、
矢口の祭りが行われます。

頼朝はその日の狩に特に功績のあった
工藤景光(くどうかげみつ)・愛甲季隆(あいこうすえたか)・
曾我祐信(そがすけのぶ)の三名を召しだし、矢口餅を与えます。

矢口餅とは「黒・赤・白」の三色の餅を
三枚重ねて一つにしたもので、
神に感謝をささげる意味がありました。

御家人たちが矢口餅を食べると、
わあぁーーーーと全員で矢叫びを上げます。

こうして頼朝旗揚げ以来の御家人たちが並み居る前で、
12歳の頼家は、次期将軍となるべき、
後継者として示されたのでした。

つづき 曾我兄弟の仇討ち

解説:左大臣光永

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