乙巳の変

「蘇我入鹿を討つ!」

「なんと!」

中大兄皇子は、舅となった蘇我石川麻呂に打ち明けます。

「来る6月12日、
朝鮮三国からの使者が貢物を持って訪れる予定である。

その儀式の際、お前に上表文を読み上げてもらう。
その間に刺客が飛び出して、一気に入鹿を斬る」

「わかりました。私も本家のやり方には
これは違うのではと常々思っておりました」

伝飛鳥板葺宮跡
伝飛鳥板葺宮跡

伝飛鳥板葺宮跡
伝飛鳥板葺宮跡

伝飛鳥板葺宮跡
伝飛鳥板葺宮跡

伝飛鳥板葺宮跡
伝飛鳥板葺宮跡

蘇我入鹿の首塚
蘇我入鹿の首塚

決行

その日、645年6月12日朝。

飛鳥板葺宮では朝鮮三国の使者を迎えるために、
早朝から高位高官たちが集まっていました。

飛鳥板葺宮
【飛鳥板葺宮】

皇極女帝は大極殿にお出ましになり、
玉座にお座りになります。

傍らには古人大兄(ふるひとのおおえ)が
ひかえます。

そこへ、

ザッザッザッザッ

蘇我入鹿が肩で風を切って入ってきます。

入鹿は疑い深い性格で
昼も夜も腰に剣を差していました。

「あっ、入鹿さま」

「ん?」

「本日はめでたい儀式です。
お腰のものはこちらでお預かりいたします」

「そうか…」

チャッ…

この者も、中大兄皇子の手の者でした。

「入鹿が座についた。すべての門を封鎖しろ」

中大兄が命じると、

ギィー…ズズーン。
ギィー…ズズーン。

役人たちが十二の門をいっせいに閉じます。

中大兄は大極殿のかたわらに長い槍を持って隠れ、
中臣鎌足は、弓矢を持って中大兄を守護します。

中大兄は箱から二振りの剣を取り出し、海犬養連勝麻呂(あまのいぬかいのむらじかつまろ)に与えると、佐伯連子麻呂(さえきのむらこまろ)・葛城稚犬連網田(かずらきのわかいぬかいのむらじあみた)に授け、「不意をついて、一気に斬れ」と命じます。

そのうち佐伯連子麻呂は恐怖のあまりふるえがきます。「おい、しっかりしろ。水でも飲め」鎌足が水をすすめると、ああすみません。んぐっ、んぐっ…ぐはあぁぷと、戻してしまいます。

中臣鎌足は、
「おいしっかりしろ。ここが踏ん張り時だぞ」

蘇我石川麻呂は上表文を読み上げます。

「つ…つつしみて、みか、みか、帝に奏上の儀…」

しかし、
誰も飛び出してこないので不安になってきました。

(どうしたんだ。話が違うじゃないか…)

蘇我入鹿が声をかけます。

「おい、どうした。震えているじゃないか」

「はっ。帝のおそばに近いことが、あまりに畏れ多く、
不覚にも汗が流れたのです」

中大兄は大極殿の蔭で様子をうかがっていましたが、
誰も飛び出しません。みんな入鹿の威勢の前に
萎縮してしまったようです。もうこうなったら仕方ない。

中大兄は剣を抜いて、飛び出します。

「やああああああああああああああ」

「なにッ!」

驚いた入鹿の眉間に一太刀、

「ぎゃああああ!!」

つづいて肩に二太刀、

「ぎひぃぃぃいいいい!!」

飛び出してきた佐伯連子麻呂が入鹿の脚に
三太刀目をあびせかけ、

「ぐっはああぁぁぁあああああっ!!」

バッタと倒れる入鹿。

足を引きずり引きずり、
皇極女帝の玉座に這いより、

「ううう…私に何の罪がございましょう。こんなのは、
あんまりです」

皇極女帝は真っ青になって
入鹿を斬ったわが子、中大兄に向かっておっしゃいます。

「中大兄、これはどうしたことです。
なぜこんなことをするのです」

「蘇我入鹿は、帝位を簒奪し、
みずから天皇に
なろうとしていました!!」

「なんと!まさか…」

皇極女帝は混乱して、奥の間に引きこもってしまわれました。

続いて飛び出してきた佐伯連子麻呂・葛城稚犬連網田が入鹿をズダズタに切り裂き、屏風や布で死体を覆います。

蘇我蝦夷 自害

中大兄はすぐさま飛鳥寺に入り戦の準備を整えます。
また入鹿の死骸を父蝦夷の舘に届けさせます。

蘇我蝦夷は最愛の息子入鹿の死骸を前に泣き崩れます。

「おおお、入鹿、入鹿…」

蘇我氏に従っていた渡来系氏族・漢直(やまとのあたい)らは眷属をみな集めて徹底抗戦を決め込みます。鎧を着て武器を持ち、われわれは一歩も退かぬ。徹底抗戦だ。オーーと言っているところへ、中大兄のもとから将軍巨勢徳陀(こせのとこだ)が遣わされてきました。

「聞けーーい。天地が開けて以来、君臣の別というものがある。立場をわきまえよ。蘇我は滅びるべくして滅んだのだ」

「なに蘇我が滅びる」「ふざけんな」

皆ワアワア、ギャアギャア言いますが、その中に少し理性のありそうな一人が皆を説得します。

「我々は入鹿さまのために、殺されることになろう。蝦夷の大臣も、また今日明日には罪によって殺されるだろう。ならば誰のために空しく戦って、ことごとく罪せられるのか」

言い終わって剣と弓を投げ捨てて立ち去りました。「ぐ…」「ぬぬぬ…」「お前どうする」「どうするって…そうだなあ」「俺は…逃げる」

一人逃げ、二人逃げ、結局ほとんど残りませんでした。

翌6月13日。

頼みの漢値(あやのあたい)たちにも裏切られ、蝦夷はとうとう観念しました。「蘇我の命運も、ここに尽きた…」そこで館に火をつけます。

蘇我の館には聖徳太子と蘇我馬子の手による『天皇記』と『国記(こくき)』、その他もろもろの宝がありましたが、ゴウゴウと館が燃えさかる中、船史恵尺(ふねのふびとえさか)という者が取り出して、中大兄に奉りました。

以上、歴史に名高い
「乙巳の変」の顛末でした。

乙巳の変は、日本の歴史の中でも語りにくい話題の一つです。真相がわからないからです。

『日本書紀』描かれている、悪の蘇我氏、正義の中大兄皇子、中臣鎌足という単純な図式は、現在ではまったく否定されています。蘇我氏は天皇家を倒そうとしていたのではなく、天皇をたてた上で権力をふるおうとしていたようです。そして専横というのも、天皇家の許可を得た上で豪華にふるまっていたに過ぎないと現在では見られています。

昔は中大兄と中臣鎌足が蘇我入鹿を殺害した事件をもって「大化の改新」といいましたが、現在ではこの事件は「乙巳の変」と、単にこの年の干支を取って呼んでいます。この殺害事件自体に改新といった意味合いはなかったとみられるからです。そして乙巳の変に続く孝徳天皇による一連の政治改革のことを現在では「大化の改新」と呼んでいます。

中大兄と中臣鎌足が蘇我入鹿を殺害したのは正義のためではなく、単に権力闘争の一環であっという見方が現在では強いです。そもそも『日本書紀』は藤原不比等の手によるもので、藤原氏の始祖である鎌足をカッコよく、正当化して描こうという意図が強く出ています。その点を差し引いて読まないといけません。

また乙巳の変が、中大兄皇子と中臣鎌足の単独の判断で行なわれたことも現在では疑問視されています。なにしろこの時、中大兄は19歳の若者にすぎません。入鹿を殺すことまではともかく、それ以降の政治改革まで、すべて単独で絵図が描けていたとは考えられません。黒幕がいたと見るべきです。

では誰が黒幕なのか?誰が背後で手を引いていたのか?その点は諸説あり、結論が出ていません。

『日本書紀』はあやしい。中でも乙巳の変の記述は特にあやしいというのが現在では常識になっています。しかし捏造が多いことは事実としても、この時代を描いた書物はほとんど『日本書紀』しか無いので、『日本書紀』を批判するにしても『日本書紀』を出発点にするしかないという弱さがあります。

≫次の章「大化の改新」

解説:左大臣光永

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