仏教の伝来

欽明天皇の時代、朝鮮半島の情勢が混沌とする中、百済の聖明王は倭国に金の仏像一体と、幡蓋(ばんがい)と、経文が伝えました。幡蓋(ばんがい)は、仏の威光を示すためにかざす旗の役割をする飾り物です。

年は『日本書紀』では552年ですが聖徳太子の伝記(『上宮聖徳法皇定説(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)』)には538年とあり、538年のほうが教科書で有名です。ゴミヤサンと覚えた方も多いことでしょう。

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使者の名はヌリシチケイといい、天皇に聖明王の言葉を活き活きと伝えます。

「とにかく仏法は素晴しいのです。無限の幸福。最上の歓喜。仏法最高。すべて願いは思うがまま。次々と叶えられましょう。遠く天竺から三韓に伝わり、仏法を信じない国なんて。まさか。そんな、ありえません。かかる素晴しい仏法を、百済王である聖明王みずからが、臣下たるヌリシチケイを遣わし、倭国の帝王に奉るのです。どうか倭国でも仏法を広めてください」

百済の聖明王からの文を活き活きと読み上げるヌリシチケイの話しっぷりを聞いていて、天皇もだんだん興奮してこられました。

「いや、実にすばらしい。世の中に、これほど素晴しい教えがあるとは。ぜひわが国でも広めたい…ところだが、吾の一存というわけにもいかぬ」

そこで欽明天皇は臣下の者達を集めて議論させます。

「百済から献上してきた仏の容貌は、見るからに素晴しい。礼拝すべきか否か」

蘇我大臣稲目(そがのおおおみいなめ)が申し上げます。

「諸国が敬っているものを、どうして倭国だけ敬わないことがあるでしょう」

「あいや、待たれよ」

物部大連尾輿・中臣連鎌子が申し上げます。

「わが国の王は代々、八百万の神々を、春夏秋冬まつってきました。外国の神など祭っては、国神の怒りを買いますぞ」

天皇は困ってしまって、おっしゃいます。

「どうしたものか。とりあえず蘇我稲目。そちに預けるから、ためしに拝んでみよ」

「ははっ」

蘇我稲目は仏像を明日香小墾田の家に持ち帰り、家に大切に祭りました。朝な夕なに仏像に向かってむにゃむにゃと祈り、仏道修行に明け暮れ、向原(むくはら)の家を清めて寺としました。すると、どうなったか。

疫病が流行し、若者もバタバタ死んで行きました。

物部大連尾輿・中臣連鎌子は天皇に申し上げます。

「それ見たことですか。やはり国神がお怒りなのです。すぐに仏法を遠ざけねばなりません。そうすればいいことがあります。仏像なんて…あんなもの、捨ててしまうのです」

「ううむ…やはり、よくない物なのかのう」

ボチャーーン

仏像を難波の堀江に投げ捨てました。また、寺に火をつけ、灰も遺さず焼き尽くしました。その時、空に風も雲も無いのに、突然御殿に火がつきました。

「やはり…仏法は正しいのだ」

蘇我稲目はそう確信し、この事件の後も蘇我氏は仏法を信じ続けました。その教えは息子の馬子に受け継がれていきます。

≫次の章「蘇我・物部の争い」

解説:左大臣光永

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